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紺碧の将

フランス料理の文化力と外交

file.063『エリゼ宮の食卓 その饗宴と美食外交』西川恵 新潮社

 

 2002年の頃、「厨房のダ・ヴィンチ」と言われたフランスの料理人、アラン・シャペルの8人の弟子を取材し、彼らの話からシャペルの料理哲学をあぶりだそうというテーマの本を執筆しているとき、フランスは食をからめて外交戦略をしているということを知った。その舞台がエリゼ宮であると。以来、エリゼ宮に行ってみたいと思っていたが、大統領官邸でもあるため、つねに多くの衛兵が厳重に警備し、堅く門は閉ざされていた。

 チャンスは存外早くやってきた。ある秋の日、パリに滞在していたとき、偶然翌日がフランスで制定されている「私たちの財産記念日」であるということを知った。聞けば、毎年春と秋にそれぞれ2日ずつ、ふだんは一般開放していない国の重要な施設を開放しており、エリゼ宮もその対象だという。

 そして翌日、7時間以上も並んで待ち、念願のエリゼ宮に入ることができた。ちなみに7時間も列に並んだのは後にも先にもこの時だけ。午前10時前、列に加わり、エリゼ宮に入れたのは5時過ぎだった。その間、バルザックの『従姉妹ベット』を読みっぱなしだった。

 足は痛くなってくるしお腹も空いてくる。途中、屈伸やらその場歩きやらをしていたが、ふだん座って仕事をしている身にとって、長時間立ちっぱなしというのは辛いものである。

 エリゼ宮に入り、つぶさに観察すると、絢爛ななかに威厳が漂っていた。多くの部屋を見ながら、圧倒された。部屋(ダイニング)の数もさることながら、それぞれの大きさや室内装飾、テーブルコーディネートなど、「相手の格に応じて使い分けるフランスの美食外交」が形となって現前としていたからだ。その差のつけ方は、露骨と言ってもいい。くわえて、料理やシャンパーニュ、ワインなどでも相手に応じて差をつけるという。

 

 国力を測る尺度としてあげられるのが、軍事力、経済力、政治力と文化力の4つだ。最後の「文化力」はわかりにくいかもしれないが、その国への「憧れ度」と言い換えていいだろう。その国に対するリスペクトは観光という形で経済に貢献するし、友好国を増やすことによって政治力の向上に寄与する。その国の文化が他国へ広がれば、それとともにさまざまな商材が輸出されることにもなる。

 日本は経済力は一流だが、政治力、軍事力ともに強いとは言えない。文化力はかなりのポテンシャルがあるが、外国への広がりに欠ける。

 その点、フランスはバランスがとれている。唯一の超大国アメリカと対等に渡り合うほどの政治力を有し、核兵器も持つ。経済力においてはドイツの後塵を拝しているが、それでもG7の一角を占めている。さらに世界最高クラスの文化力がある。年間の観光客数は8400万人を越え、世界一だ(2020年は例外として)。美しい景観、美術、美食など、コンテンツは数多くある。その結果、世界中にフランス贔屓が誕生した。

 外交にこれだけの食文化をからめられるフランス人とは、いったいどんな民族なのか? もちろん、答えなどわかろうはずもない。

 しかし、エリゼ宮をつぶさに見、さらに本書を丹念に読むことによって、なぜフランス外交はしたたかで強いのか、その秘訣がわかったような気がした。彼らは自国の食文化が独特であり、それでいながら世界に通用するものであるということを熟知している。だからこそ、フランス料理が外交の武器になると思っている。そして、そのことに誇りを抱いている。豊かな文化の背景を持たない民族は、空虚な誇りしか持てないが、フランス人は憎たらしいほどに余裕しゃくしゃくなのだ。だから、招待したゲストの「格」やフランスにとっての重要度に応じて、シャンパーニュやワインや料理に差をつけ、それとなくゲストに知らしめる。つまり、エリゼ宮で催された晩餐会のメニューを見れば、フランス政府のゲストに対するメッセージが読みとれるのである。

 本書では過去のゲストとメニューの内容を詳細に分析しているが、なるほどとうなづくことばかりである。そして、そのことを国民が知っているということがポイントである。フランス国民はその国の賓客をエリゼ宮が手厚く歓迎したか、そこそこの歓迎でお茶を濁したか、てきとうにあしらったかを知ることによって自分たちの政府がその国をどう評価しているか感じ取っているのである。驚くことに、シェフからあがってきたメニュー案を最終的に了承するのは大統領だという。つまり、料理やワインの良し悪しを理解できない人ではフランスのトップは務まらないのだ。

 フランス政府の食に対するこだわりは、招待する場合だけに限らない。一国の元首が国賓として外国を訪問すると、歓迎を受けた返礼として答礼宴を開くのが外交上の慣わしとなっているが、当地の大使館のスタッフで対応するのが一般的だ。しかし、フランス政府は現地まかせにしない。軍用機をチャーターし、わざわざ自国から料理人を何人も引き連れて行くのだ。メニューに合わせた食材を運ぶにはかなりの困難が伴うが、それを厭わない。冷蔵設備がないなどの悪条件下でもなんらかの対処をし、自国の料理、自国の料理人、自国の食材でもてなすのだ。

 もちろん、そんな〝不合理な〟ことを続けている国はフランスだけである。しかし、彼らとて、どこかで辻褄が合うとわかっているからこそ、手間とコストを惜しまないのだ。

 そういうことも含め、本書を読むとフランス人が食事を含めた文化に対してどう思っているか、理解できる。日本料理も世界に冠たる食文化だと思うが、そのような総合力は持ち得ていない。

 その理由は……。拙著『扉を開けろ 小西忠禮の突破力』で私はこう書いた。

 

 ――なぜ彼我の差になっているかと言えば、日本料理は外部の人に対して門戸を閉ざしてきたからだ。日本料理に限らず、伝統的な日本文化の多くは門を閉ざすことを習わしとしてきた。

 作家の渡部昇一は『日本そして日本人』(祥伝社黄金文庫)の中で、「日本人は一家相伝や門外不出を旨とし、他者に教えることを拒む傾向が強い。教える場合も少しずつしか教えず、そのわりに高額のカネを要求する」と書いている。

 料理の世界も同様で、戦後のある時期までは、先輩が使い終わった鍋を後輩に洗わせるとき味見ができないよう、残ったソースなどに洗剤をかけてから渡したというようなことは常態化していたらしい。悪習を危惧した帝国ホテルの村上信夫が厨房内の意識改革を進めるまで、料理を志す日本の料理人が現場で学ぶことはかなり難しかったようだ。

 日本人に比べ、フランス人は開放的だ。もちろん、最初からあからさまにオープンにすることはないが、ある程度人物をみきわめた後は懐の奥深くに受け入れ、出し惜しみせず教える傾向がある。だからこそフランス料理を学んだ料理人が世界中に散らばって各地に定着し、やがて国賓を招いての正式な晩餐会で使われることが多くなったと言える。そのような素地ができたことによって、フランスの美食外交は可能になった。

 

 文化の門戸を開くのか、閉じるのか。フランスの美食が以降は、ひとつの答えを示している。

 

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●「美しい日本のことば」

今回は、「雲の鼓」を紹介。雲に鼓とくれば、鬼。「風神雷神図屏風」の雷神が浮かびませんか。そのとおり、「雲の鼓(くものつづみ)」とは「雷」のこと。雲にのって現れた鬼神は〜。続きは……。

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