大金が人間に及ぼす魔力と血脈の大団円
壮大な血脈の物語である。人が生まれ、何かをなし、やがて死ぬ。その人の遺伝子を持った子がまた何かをなし、死ぬ。この連なりのなかに人間存在の意義と不条理が無数に散りばめられている。
長い時間の連なりを高所から俯瞰すると、この連なりは大団円を構成していることに気づく。もちろん、人間ひとりの一生をかけてもその全体像を見きわめることはできない。したがって長篇小説の出番となる。本コラムで紹介したG・ガブリエル=マルケスの『百年の孤独』やドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、そしてパール・バックの『大地』は、そのような意味で姉妹編であると私は思っている。
時は19世紀後半、舞台は中国。貧しい小作農・王龍(ワンルン)は、大地主の奴隷だった阿蘭と結婚したことをきっかけに人生が好転していく。阿藍は醜く寡黙であったが、勤勉だった。王龍とともに日々、大地を相手に汗を流し、コツコツと金を蓄える。
3人の子供にも恵まれた。しかし、洪水による飢饉で町を出なければならなくなり、王龍一家は貧困にあえぐ。
やがて戦争に巻き込まれる。運も味方し、王龍一家は多くの財貨を手に入れ、自らの土地に戻る。
その後、王龍と阿蘭は大地主・黄家の土地を買収するほど大富豪になる。
しかし、人間の心は移ろいやすい。あれだけ誠実で努力家だった王龍だが、洪水で農作業ができなくなり、暇をもてあます状態になると、がらりと人間が変わる。「小人閑居して不善をなす」の言葉のとおりに。
「おい。これから町の茶館へ行って、耳新しいことでも聞いてくるからな。この家にゃあ、馬鹿とおいぼれと子供しかいねえんだから」
王龍は、妻の醜さががまんできなくなり、遊女の蓮華に熱をあげ、第2夫人として家の一員に加える。金を浪費し、あげく詐欺師に騙される。
そんな男をを元に戻したのは〝大地の力〟だった。洪水が引いて故郷に戻るや、王龍はふたたび懸命に働き始める。
王龍一家は平穏に戻ったかに見えたが、王龍が死んで間もなく、家族は瓦解し始める。3人の子供たちは、両親が苦労して手に入れた土地を手放すことを選ぶ。長男の王大は勉学に励んで地主になり、次男の王二は商人に、そして三男の王三は王虎将軍と呼ばれるほどの豪毅な軍人となる。
しかし、狂い始めた歯車は止まらない。妻に裏切られた王三は、自暴自棄になって二人の兄の嫁を横取りしてしまう。こうなれば、血がつながっている分、憎しみは数倍にも膨れ上がる。王龍と阿蘭が身を粉にして築き上げてきた家族は、脆くも崩れ去るのである。
これだけで物語は終わらない。王三には二人の子が生まれるが、その一人、王淵は王龍に似て、大地に愛着を持つ青年となる。やがて、中国全土に革命の波が押し寄せるなか、王淵は革命党員だとして捕えられる。王一族によって救出された後、アメリカへ逃れ、長い歳月を経て、再び故国の地を踏み、理知的な女性と恋に陥る……。
王龍と王淵は、よく言われる隔世遺伝だろうが、その間に王三が存在しなければ、その連鎖は途絶えていた。血脈は一本の直線ではなく大きな円環であり、それが塊となって人間社会を作っているということがわかる。
本書は、金とのつきあいかたについても多くの示唆を含んでいる。
私は、何人かの創業者を思い出した。がむしゃらに働き、会社を成長させ、ついに株式を上場させた男たちである。夢を追っているとき、彼らは輝いていた。しかし、莫大な創業者利得を得るや、判で押したように人間が変わってしまった(と映った)。それを証明するように、彼らは揃ってその後の人生において急速に転げ落ちていった。
古今東西、いっときの成功者に対する戒めの言葉はあまたあるが、それらの警告がまったく用をなしていなかったことを私は知った。実直で働き者の人間が大金を得るや、人生を誤るという図式は、ほかにもジョン・スタインベックの『真珠』など、先人たちが遺してくれている。
作者のパール・バックは、アメリカ人女性として初のノーベル賞作家となった。重い知的障害の子を育てた母としても有名だ。阿蘭はパール・バックの母がモデルと言われている。
本サイトの髙久の連載記事
髙久の代表的著作
●「美しい日本のことば」
今回は、「夜振火」を紹介。夏の夜、川面に灯りをともすと光に吸いよせられるように魚が集まってきます。この灯火が「夜振火(よぶりび)」〜。続きは……。