国語力は根本中の根本
この本は、2000年から3年ほどの間に書かれたエッセイをまとめたもの。保守系の新聞や雑誌に掲載した11篇「国語教育絶対論」、朝日新聞などに掲載した20篇「いじわるにも程がある」、そして本書中もっとも長い「満州再訪記」に分けられている。「いじわるにも程がある」は家族の会話を題材にしたものなど、軽妙なタッチで描かれ、それなりに楽しく読めるが、飛ばしてしまってもかまわない。
あえて本書をこの欄で紹介するのは、前半の「国語教育絶対論」と最後に収められた「満州再訪記」が正鵠を射た文章であるからだ。
日本の近況を憂えていた著者は、ある強い信念のもと、本書をしたためた。あとがきにこうある。
――国家再生、すなわち教育再生に関して、度重なる改革がさらなる混迷と悪化を招いている中、本質中の本質とは何か、について言おうと筆をとった。祖国を祖国たらしめるもの、すなわち文化、伝統、情緒などのかなりの部分は、国語の中に凝縮されている。
著者の本分は数学者だが、厳然と国語教育こそが国家の基幹をなすという認識をもっている。なぜなら、国語は単に思考した結果を表現する道具ではなく、国語力がなければ思考力がアップしない。人間は自分がもつ語彙を大きく超えて考えたり感じたりすることはできないという持論を掲げる。
たしかにそうだろう。人間は、自分が理解できる言葉の範囲内でしか考えられない。「感じる」ことはできても「考える」ことはできない。両者は、根本的に異なるのだ。となれば、国語力が低下すれば低下するほど国民の考える力が減退し、ひいては国力が低下するという論法は当然だという気がする。
しかし、現実には、国語を情報伝達の道具としてしか考えない人が多い。その結果として、国力が落ちている。それを正そうと、英語教育を強化する動きがあるが、見当違いもはなはだしいと言わざるをない。
藤原氏はこう喝破する。
「世界で英語の一番下手な日本が20世紀を通して、先進国中もっとも大きな経済成長をなしとげ、英語の一番上手なイギリスがその間もっとも斜陽だったことが忘れられている。内容のない日本人が世界のあちこちで得意の英語でしゃべりまくり軽薄を露呈することは、国益に反するとさえ言えよう」
日本人が話す英語は母国語ではない。道具のひとつである。いくら道具が使えても話の中身がスカスカだったら、だれの心をも動かすことはできまい。
国語力は思考を深めるのと同時に、情緒を育む。藤原氏は、情緒とは喜怒哀楽のような原初的なものではなく、もう少し高次元のものととらえている。それをたっぷり身につけるには一人の実体験だけでは決定的に足りない。だからこそ時空を越えた世界を知るために先人たちが遺した書物を読む必要が必要であり、それを可能にするのは国語教育なのだという。そのため、小学校における国語こそが本質中の本質であり、国家の浮沈は小学校の国語にかかっていると主張する。
同感である。いま、突然マイクを突きつけられて、自分の考えを的確に話せる日本人がどれだけいようか。これはディベートの訓練をすれば解決できるというものではない。先述のように、国語を単なる伝達手段ととらえているから話す中身が空虚になる。どんなにスラスラと話せても、中身がまるでないのであれば、無言の方がいいだろう。心の奥になにか隠しているにちがいないと思わせるだけましというもの。
藤原氏はベストセラーとなった『国家の品格』で知られるが、国家の品格は国民一人ひとりの品格の集大成である。
人間の品格とは、利害得失からどれだけ離れられるかでほぼ決まる。通常、利害得失を考えるのが人間であり、それなくして生活を円滑に営むことはできない。しかし、だからと言って野放図にそれを求めていいかと言えば、そうではない。
利害得失を越えたもの、それこそが教養だ。教養を高めるための土台は読書によって作られる。文学、芸術、歴史、思想、科学といった実用に役立たぬ教養なくして、健全な大局観を持つことは困難だと著者は述べている。
昨今、多くの人がさまざまな価値を数値に置き換え、すぐに得られる結果を求めている。しかし、つねづね私は「すぐに得たものは、すぐに失われる」と言っている。ハウツーもので得た知識がほとんど役に立たないのを見てもわかるだろう。一方、教養を深め、人間的魅力に磨きをかければ、長い時間にも摩耗することはない。同じような教養をもった人との共鳴・共感が広がり、人生に豊かさをもたらしてくれる。いま、多くの人が閉塞感を覚えているのは、長期的視野にたって教養を深めることをせず、目先の利害得失に翻弄されているからではないか。教養をもたらすもの、それこそが国語力である。
本書のなかからいくつか抜粋しよう。
「不況が何年続こうと国は滅びないが、国語力の低下によって知的活動、論理的思考力、情緒、祖国愛が低下すれば確実に国は滅びる」
「英語やパソコンが多少ぎごちなくとも、文学、歴史、哲学、芸術そして日本人としても情緒などを身につけた者こそが、世界で活躍するために必須の、大局的判断力を備えることができる」
「その場その場の局所的最善が大局的最善とは限らない。小さな国益を重ねた後に、大きな破局が待っていることもある」
慧眼である。
最後に収められた「満州再訪記」は、父に新田次郎を、母に藤原ていをもつ、満州生まれの著者が、年老いた母を連れて満州の旧都・新京(現長春)を訪れた紀行文である。
近代史に関する見識が高いことにも驚いた。偏狭な理想主義や国粋主義に走らず、リアリズムに基づいて怜悧に当時のアジア情勢を分析している。左翼や右翼と異なり、〝開かれた目〟をもっているからこその鋭い考察である。
言葉をもった数学者は、案外ものごとの真理に近い位置にいるのかもしれない。
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