死ぬことは永遠に生きること
アメリカの哲学者レオ・バスカーリアが生涯にただ一冊書き残した絵本である。葉っぱを擬人化し、生まれてから死ぬまでの物語を温もりのある、わかりやすいタッチで表現している。
作者の死生観は簡潔で的を射ている。死ぬこととはこういうことなんだよ、生きることとはこういうことなんだよと、さならが日常の出来事のように軽く書いている。
20年ほど前であろうか。宇都宮のあるギャラリーで小さな音楽会があり、出演したソプラノ歌手が曲の合間にこの絵本を朗読した。小学生でも理解できる平易な言葉を用い、死生観をみごとに表していることにいたく感動した覚えがある。
葉っぱのフレディは、ある春の日、大きな木の梢に近い、太い枝に生まれた。仲間たちと愉快に日々をおくりながらスクスクと成長する。そして、夏には、いっぱしの葉っぱに成長する。
その頃、フレディはあることに気づく。葉っぱはどれも自分と同じ形をしていると思ったのに、実はひとつとして同じ葉っぱはないということを。それぞれに個性があり、それぞれに存在価値があるということを理解するのだ。
やがて、親友のダニエルから葉っぱの仕事=役割を教えてもらう。夏の暑い日、木陰に涼を求めてきた人たちに葉っぱをそよがせて涼しい風を送るなど、自分たちが誰かの役に立っていることを知り、フレディは生まれてきて良かったと思う。
やがて秋になり、寒くなる。周りの友だちは一様に紅葉するのだが、ここでもフレディはどれひとつとして同じ色ではないことに気づく。同じ木の、同じ枝の、同じ葉っぱなのに、ひとつひとつがちがう。それが不思議でならない。
冬の気配が訪れるとともに、葉っぱたちは冷たい風に次々と吹き飛ばされていく。怖がるフレディにダニエルが言う。ぼくたちは葉っぱの役割を果たしたのだから、引っ越すのだと。
そして、こう言葉を継ぐ。
――まだ経験したことがないことは、こわいと思うものだ。でも考えてごらん。世界は変化しつづけているんだ。変化しないものは、ひとつもないんだよ。……変化するって自然なことなんだ。きみは春が夏になるとき、こわかったかい? 緑から紅葉するとき、こわくなかったろう? ぼくたちも変化しつづけるんだ。死ぬというのも変わることの一つなのだよ。
フレディはダニエルに、生まれてきて良かったのだろうかと尋ねる。ダニエルはそれには答えず、生まれてきてから今日まで、どんなに楽しく、どんな幸せだったかを語り、そして金色の光のなか、枝から離れていった。フレディはひとり残ったのだった。
翌日、初雪が降った。そして、フレディは迎えにきた風にのって枝を離れ、空中にしばらく舞って、そっと地面におりた。
そのとき、初めて彼は木の全体の姿を見る。それはがっしりとたくましい木だった。それからダニエルの言葉を思い出す。命は永遠に生きているのだ、ということを。
生の最期を目前にして、地面に舞い降りたフレディが思ったのと同じような感懐を得られるにはどういう生き方をすればいいのだろうか。そう考えさせる物語でもある。
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