贖罪の心が生む、大きな力
新穂高から西穂高岳へ登るコースの途中に、播隆(ばんりゅう)上人の石像がある。目にしたとたん、『槍ヶ岳開山』を読んだときの感懐がよみがえった。日常のふとしたことで読書の記憶が意識の表面に表れ、しばし幸福にひたる。いい本が与えてくれる歓びは、読後何年を経ても心の奥底に潜んでいると確信する所以である。
播隆上人といえば、江戸時代後半の浄土宗の僧で、1828年、槍ヶ岳を開山したことで知られている。さらに笠ヶ岳の再興者でもある(開山者は円空)。笠ヶ岳は西穂高岳に隣接しており、笠ヶ岳の東面の平坦地は播隆平と呼ばれている。つまり、播隆上人はそのあたり一帯を再興した人としてずっと顕彰されているのだ。
本書は、その播隆上人を主人公にした、槍ヶ岳を開山するまでの過酷ないきさつを描いたもの。
岩松(播隆上人になる前の俗名)は、百姓一揆に巻き込まれ、誤って竹槍で最愛の妻おはまを突き殺してしまう。臨終の直前、おはまは憎悪に満ちた目で播隆を睨みつける。それは妻殺しをけっして許さない目であった。
播隆は故郷を捨て、出家し、妻の許しを願いながら念仏、座禅、立禅と修行を重ねるが、地獄のような呵責の苦しみと未練から逃れられることはできない。山岳僧となって笠ヶ岳を再興した後、いまだ未踏の急峰・槍ヶ岳へ向かう。現地で案内人を雇い、命を賭して絶壁を登るが、槍ヶ岳はいくども人間をはねつける。やがて槍の穂先に立つことができた播隆上人が見たものは……。
槍ヶ岳といえば、いまも登山家にとって憧れの山。標高3180mは国内5位だが、人気は圧倒的だ。いまから十数年前、筆者は槍ヶ岳に登頂した。それまで登山に興味はなかったが、友人に誘われ、気楽に返事した。「ジョギングシューズでも大丈夫ですか」と聞いたくらいだから、いかに無知なまま登頂しようとしていたかがわかる。
目指す頂上に向かって最後の絶壁を登りながら、「梯子があっても大変なのに、これがなかった時代、どうやって登ったんだろう」と疑問に思った。それを成し遂げたのが、播隆上人であったのだ。
彼をそこまで掻き立てた原動力は何だったのか。そういう観点で本書を読み解くのも一興だろう。
余談だが、播隆上人が登頂した52年後、イギリス人のガウランドが槍の頂上に立ち、そのあまりに美しい絶景を「日本アルプス」と名づけた。この名称は、その後、ウエストン(イギリス人、1892年に登頂)によって世界に広められ、Mt.YARIの名が世界の登山家に知られるようになった。
播隆上人の研究者によれば、小説と実像はかなり異なる点もあるようだが、新田次郎の筆力はそのような指摘など歯牙にもかけないほどの力を持っている。
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