小よく大を制す
エンターテイメント小説と呼ばれる分野で、もっとも贔屓にしている作家のひとりが、池井戸潤だ。『下町ロケット』以来、彼のストーリーテリングと社会を見る視点にはとても共感をおぼえている。
なんといっても文章の平明さと流れの良さがいい。私は〝個性的な〟文章はまったく否定しないが(好き嫌いがあるものの)、簡潔に書けるものをわざわざわかりにくく書いている文章を長時間読み続けたいとは思わない。特に小説は、読んでいて楽しいと感じられることが重要だ。どんなに深淵で高邁なテーマであっても、ディープな純文学であっても、読む楽しさを味わえない作品はあまり触手が伸びない。
池井戸は明快なストーリーテリングに加えて、社会を見る際の絶妙なポジショニングがいい。彼の経歴を見ると、慶応大〜三菱銀行(当時)とある。ありていにいえば、エリートコースを歩んできた人といっていい。ところが、彼の作品において敵役として描かれているのは、銀行や大手メーカーなど、いわゆるエリートコースを歩んでいる人が就きたくなる企業ばかり。いっぽうで、主役と位置づけられ、読者の共感を誘うのは、それら大企業の横暴に苦しめられながら悪戦苦闘する零細企業の経営者、あるいは大きな組織にいても出世の望みがない人が多い。
私自身、零細企業の経営者であるから、彼の視点に共感度が上がるのは当然である。もっとも、誤解を招かないよう書き添えるならば、私は銀行や大企業から虐められた経験は一度もない。そもそもどこかに共鳴・共感を前提にした人間関係がなければ、あまり取り引きをする気がないから(相手にもされないだろうが)、大きな組織とはほとんど接点がないのだ。
もちろん、大きな会社にも一人ひとりの社員に裁量権を与えているところがあるかもしれないが、それはごく少数だろう。組織が大きくなれば、よりシステマティックにならざるをえない。最大効率を求めることが正義となるのは自明の理だ。まあいい、話が脱線してしまった。本題に戻ろう。
この作品の主人公は、群馬県行田市にある創業100年の歴史を有する足袋専門メーカー「こはぜ屋」の4代目社長・宮沢紘一。従業員20名のこはぜ屋は、売上が年々減少し、担当銀行員の提案にもとずいて足袋製造で培った技術を生かしたランニングシューズの開発を思い立つ。社内にプロジェクトチームを立ち上げ、開発に着手するが、その前にはさまざまな障壁が立ちはだかる。資金繰り、素材探し、ソール(靴底)やアッパー素材の開発、生産設備の故障、世界的な大手シューズメーカーの妨害……。しかし、宮沢たちプロジェクトのメンバーたちは、力を合せ、困難に対峙していくという典型的なエンターテイメント小説。それでも読ませるのは、登場人物のキャラクター設定が魅力的だからだろう。
とりわけ飯山晴之という、一度会社を倒産させた人物が粋で味わいがある。彼は経営破綻によって心も生活も荒れ、無気力な毎日を過ごしているが、繭を特殊加工した「シルクレイ」という素材を考案し、特許を取得している。宮沢たちが理想とするフラット・フット着地を可能にするためには、薄くて弾力があり耐久性に優れたソールが必要だが、そのために最適の素材だと目をつけた宮沢は粘り強く交渉し、飯山の特許使用許可とプロジェクトへの参加を実現させる。
物語の後半、世界的な投資会社から飯山に対してシルクレイを使用したいと申し出があったにもかかわらず、宮沢から受けた恩を盾に断るというくだりは大いに感動させてくれる。世の中に、これほど不合理な決断はほとんどないと思うが、だからこそキラリと光っている。自分が飯山だったらどういう判断を下すだろうと何度も反芻した。
じつは、これがミソである。「自分だったら、どういう決断を下すだろう?」この小説は、それを繰り返し読者に問うている。まして筆者のように、零細企業の経営者ともなれば、〝他人事〟〝物語の世界〟では済まされない。そういう意味でも、意義のある疑似体験をさせてくれる作品である。
他にも、宮沢の息子・大地との父子関係の変化、担当銀行マンやシューフィッターなど、会社には属していないが心をひとつにする人物たち、こはぜ屋が開発した「陸王」というランニング・シューズを履いて足の故障から復活する長距離ランナーなど、人材の配置も適材適所だ。
こはぜ屋からの借入要請を断った地元銀行が、最後に地団駄踏むところは、いつもの〝池井戸節〟だ(ドラマでは、地元銀行もある程度の理解があったことになっているが)。
実際に陸王というシューズがあったら、ぜひとも履いてみたいものだ。
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