雑草パワーで、聴く者を羽交い締めにする
前回に続いてフランスものを。
初めてZaz(ザーズと読む)を聴いたときの印象は忘れがたい。2010年のある日、タワーレコードで目新しいものを渉猟していた。フランスのコーナーで1枚のジャケットが目についた。シャッターにスプレーで「ZAZ」と落書きし、その前に座り込みをキメる若い女が写っている。佇まいに一瞬、抵抗を覚えたが、現代のエディット・ピアフとかなんとか書かれたPOPに惹かれてヘッドフォンを耳にあてたとたんに電気が走った。
「なんなんだこれは!」
声はラフで歌い方は江戸っ子のようにいなせ(フランス人に江戸っ子もあるまいが)、どんなところでもたくましく生きる雑草をイメージさせた。
Zazとの出会いである。ジャケットの雰囲気同様、まさしく雑草の声だった。ハスキーで荒々しいが、どこか繊細さも併せ持つ。純粋に歌が好きだということが伝わってきた。
パリの街角には、夜の帳が降りると、しばしば女性の歌声が響きわたる。拡声器は使っていないのに朗々と聞こえてくるのだ。エディット・ピアフを生んだ土壌がZazを育んだにちがいない。
聴けば聴くほど、彼女の野性的な音楽に魅了された。前回紹介したナターシャ・サン=ピエールはソフトで膨らみのある声質だが、Zazは正反対と言ってもいい。荒削りだが、聴く者をグイグイ引き込む力がみなぎっている。
Zaz初体験からほどなくして、〈赤坂ブリッツ〉でのライブを聴いた。椅子席はなく、ぎっしり詰まった観客にはさまれるようにして、ビール片手に彼女の飾らないパフォーマンスに酔いしれた。
とりわけ感嘆したのが、右手の掌をラッパ状に丸め、親指と人差し指の間から声を発して、出口で音を拾うという「てのひらラッパ」だ。CDで聴いたときは、電気仕掛けの吹奏楽器かと思っていたが、じつは掌だったということがライブではっきりわかった。ビブラートなんかもしっかり効かせながら 自分の声でミュートのかかったラッパのような音を出している。あのような独特の技術も、好きで歌っているうちに身につけたのだろう。30代前半の若さで、すでに使い込んだ職人の道具さながら年代モノの歌声であった。
Zazは1980年、トゥールの生まれ。2006年頃からパリのピアノバーで、夜通しマイクなしで歌う活動を始め、喉を鍛えた。その後、ストリートミュージシャンを始め、モンマルトルの街頭で歌うと、人だかりができたという。
転機は、ハスキーボイスのシンガーを探していたプロデューサー、作曲家のケレディン・ソルタニの募集広告に応募し、見初められたこと。ソルタニは彼女に「私の欲しいもの(Je Veux)」を提供し、このアルバムがリリースされた。
NHKのフランス語講座に出演していたZazを見たことがある。子供たちを相手に、屈託のない表情で言葉を教えていた彼女の飾らない姿が印象的だった。彼女はドレスはもちろん、スカートも似合わないだろう。スーツに身を包んだ落語家がイメージできないのと同じように。……と、それは音楽には関係ない話だが、要するにZazの魅力は〝飾らない音楽〟だということ。特に近年は科学の進歩も相まって、どうしてもオーバー・プロデュースになりがちだが、音楽の原初的衝動を思い起こさせる、稀有なアーティストといっていい。
このアルバムの聴きどころは、なんといっても前述の「私の欲しいもの(Je Veux)」。ドライブ感が溢れ、小気味よく歌が疾走する。前述の〝掌ラッパ〟の音もめっぽう弾んでいる。まるで法隆寺五重塔のように虚飾がなく、堂々としている。
ラストを飾る「眩しい夜(Eblouie Par La Nuit)」もひときわ印象深い。彼女の声域ギリギリの高音域で絶唱されるバラード。演奏が終わっても、しばらく余韻に浸ってしまう。
Zazの本作は本国フランスをはじめ、ほぼヨーロッパ全域、そしてロシアでもかなりのセールスを記録したが、おもしろいのはアメリカで評価されなかったということ。どうやらアメリカ人の感性にはマッチしないようだ。
最後にひとつ、苦言を。オリジナルのタイトルは『ZAZ』であり、私は輸入盤を購入したのでしばらく邦題がわからなかったが、やがて『モンマルトルからのラブレター』という邦題を知った。正直、口にするのも気恥ずかしいのですが……。邦題を考える人は、もっとまじめに仕事をしてほしいものだ。
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