叙情的にして超ダイナミック
「どっちのブラームスが好き?」というのと同じくらい、「どっちのラフマニノフが好き?」は答えるに難しい問いである。もちろん、どっちのというのは「どっちのピアノ協奏曲が」という意味だ。あまり適切な喩えではないかもしれないが、「いなかっぺ大将」の風大左衛門がキクちゃんと花ちゃんのどちらかを選べと言われるようなものかもしれない(やっぱり適切な喩えではなかったようだ)。
セルゲイ・ラフマニノフが遺したピアノ協奏曲の精華、いわゆる第2番と第3番はいずれもスケールが大きく、ロシア的な情緒に満ちあふれ、聴きどころも満載だ。
どちらが好きか、私もその日の気分によってコロコロ変わる。たまたま今日は第3番の方を聴きたい気分だから、そっちを紹介しよう。
ラフマニノフは1909年夏、秋に予定されていたアメリカへの演奏旅行への手土産としてこの作品を作曲し、同年11月、ニューヨークでピアニストとして初演した。翌年1月には、この曲でマーラーとの共演もした。
余談だが、彼はマーラーやチャイコフスキーら作曲家以外にも、さまざまな大物と交わっていた。チェーホフやトルストイら畑違いの人物とも親交があった(チェーホフはラフマニノフを評価したが、トルストイはそうではなかったようだ)。
アメリカでの成功を携えて帰国したラフマニノフだが、1917年、革命がなったロシアを出国し、第2次世界大戦中の1943年に死ぬまで、生涯母国の地を踏むことはなかった。
さて、ピアノ協奏曲第3番である。ラフマニノフの作品はすべて伝統的な調性音楽の枠内で書かれており、ロマン派的な語法から大きく外れることはない。さらに作品のスタイルは典型的なロシア風で、甘美でロマンティックな叙情を湛え、大陸的なダイナミックさで聴く者の心を瞬時に鷲づかみする。それが前衛的な批評家から批判される材料ともなったが、音楽史に残る傑作をいくつも作曲したことは間違いない。
彼は1941年、ある雑誌のインタビューで、創作に関して次のように述べている。
「作曲する際に、独創的であろうとかロマンティックであろうとか民族的であろうとか、その他そういったことについて意識的な努力をしたことはない。ただ、自分の中で聴こえている音楽をできるだけ自然に紙の上に書きつけるだけだ」
ラフマニノフはもともとピアノ演奏史上有数のヴィルトゥオーソであり、作曲とピアノ演奏の両面で大きな成功を収めた音楽家としてフランツ・リストと並び称される存在である。身長2メートルを超える体躯と大きな手の持ち主で、12度の音程を左手で押さえることができたと言われている(小指でドの音を押しながら、親指で1オクターブ半上のソの音を鳴らす)。また指の関節も驚異的なほど柔軟で、右手の人指し指、中指、薬指でドミソを押さえ、小指で1オクターブ上のドを押さえ、さらに余った親指をその下に潜らせてミの音を出したという〝伝説〟も残っている。
彼のピアノ協奏曲、特に第3番はこういった身体的なアドヴァンテージを最大限に生かしたもので、並みの体格のピアニストがこれを弾くのは容易ではない。
第3番にはいくつかのカデンツァがあるが、ラフマニノフは難しいバージョンと比較的平易なバージョンの2つ作っている。「ま、あまりうまくない人はこっちの方が無難じゃないかな」ということだろう(なんたる嫌味!)。
私が愛聴するのは、ラザール・ベルマンが、クラウディオ・アバド/指揮&ロンドン交響楽団と共演した1976年録音のもの。
クラシックを真剣に聴き始めた1970年代、「レコード芸術」や「ステレオ・サウンド」を購読していた。当時、誌面をにぎわせていたのが、ラザール・ベルマンの超絶技巧だった。かのスビャトスラフ・リヒテルが「彼は私二人分の力量がある」と言ったという逸話もあった。そのベルマンが、きわめて難しい独奏部分をもつこの作品に挑んだのだ。
第1楽章の短い序奏だけで、ただならぬ空気にスリップしていく感覚を味わうことができる。静謐なのに激情を孕んでいるのだ。さらりと弾いているように思えるが、さすがはベルマン、力に物を言わせて前がかりに攻めてくる。迎え撃つアバドもオーケストラを巧みに操って正面からベルマンの繰り出す音に対峙している。達人同士のせめぎあいだ。
展開部から再現部へかけて早くもカデンツァが現れる。もちろん、ベルマンが選んだのは、重厚な和音を使った「大カデンツァ」の方である。
第2楽章は形式にしたがって緩やかなテンポで進み、続く最終楽章において、さらにカデンツァが現れ、軍楽調のフィナーレで終わる。最後は予定調和ともいえるが、ついつい聴きながら力を入れてしまう自分がいる。
もう一枚、アルゲリッチ盤も愛聴している。ちなみにラフマニノフ自身がが演奏した第1番と第4番を持っているが、音質がかなり悪いものの、豪快なピアノの音には圧倒される。
ラフマニノフは気前のよさでも知られる。音楽家として成功し、多額の収入を得るようになると、困窮している芸術家や芸術団体に支援することを惜しまなかった。また自動車が好きで、メルセデスやブガッティなどスピードの出るスポーツ車を購入してドライブを楽しんだ。〝ロシアの大熊〟は多彩な面を持ち合わせた、懐の深い人物だったのだ。
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