典雅と土着
ドヴォルザーク(私は密かにドボちゃんと呼んでいる)は、ワーグナー派とブラームス派が対立していた時代に音楽を学んでいる。当初、彼はワーグナーに心酔していたが、徐々にワーグナーの影響を脱し、ブラームスに近づく。そして、ブラームスによって推挙され、作曲家としての地歩を固めていく。
この経緯が意味するところは?
ワーグナーの壮大な構成とドラマ性、ブラームスのロマンティシズムや旋律の美しさを、もっとも多感な時期に学ぶことができたということ。
さらにドヴォルザークを語る際、避けては通れないのが、ボヘミアという風土だろう。そもそもチェコ人としての民族意識を音楽に取り入れた先駆者はスメタナであり、ドヴォルザークはスメタナより一世代後の作曲家だが、彼によってボヘミアン・スタイルが完成されたといっていい。
当所、ドヴォルザークは〝ブラームス風〟を目指していた。しかし、前述のように、ワーグナーとブラームスのいいところをミックスしながら、自分の育った土地に伝わる音楽を見直すということによって独自の境地を拓いた。
その代表的な作品が、いわゆる〝ドボ8〟の名で知られている、8番目の交響曲だ。
この曲の印象をひとことで言えば、〝洗練された土着性〟。この曲の版権をロンドンの出版社が獲得したことから、「ロンドン」または「イギリス」と呼ばれた時期もあったが、イギリスを題材にした作品ではない(現在、このような愛称は用いられていない)。
日本人のわれわれにとって、なにがスラブ的なのかわからない。しかし、本作を通して聴けば、この交響曲が持っている独特の匂いを感じることはできる。極めて洗練された第3楽章のあと、第4楽章の冒頭に驚くほど泥臭いトランペットのファンファーレを持ってくるというのは、並みの作家ではできない(良くも悪くも)。
第1楽章はチェロと木管によるスラブ的な序奏から入り、主題が展開されていく。後にも触れるが、ドヴォルザークは大の鉄道マニアで、この楽章にも機関車の汽笛と車輪を模した木管と弦のやりとりを聴くことができる。
第2楽章は郷愁を帯びた短調の旋律で始まり、やがて情熱的な高まりを示し、ふたたび郷愁に包まれながらトーンダウンする。
第3楽章の冒頭をどう表現すればいいのだろう。3拍子のスラブ風ワルツは、この世のものとは思えないほど美しい。紳士淑女が華麗なステップを踏みながら優雅に踊っているようだ。幕の閉じ方もふわっと消えていくようで、さりげない。
そして、あのファンファーレである。こんなにも美しいワルツのあとに、なぜ、こんなに武骨なファンファーレを持ってくるわけ? と訊きたくなるほど理解に苦しむ。しかし、これこそがドボちゃんの真骨頂なのだ。「完璧なほど美しい旋律がずっと続いていたらつまらないだろ?」という声が聞こえてきそうだ。事実、その通りで、聴けば聴くほど、このファンファーレには愛嬌を感じる。
ところで、クラシック界には「第九の呪い」という言葉がある。交響曲第9番を作曲したあと死ぬというジンクスである。もちろん、ここでいう「第九」とは、ベートーヴェンの交響曲第9番である。マーラーがそのジンクスを恐れて、交響曲第8番の完成後、次の交響曲を交響曲として認めず『大地の歌』と名づけたという有名なエピソードがある。しかし、手のこんだことをやったにもかかわらず、結局、その後に交響曲第9番を作曲し、死を迎えることになる。他にも交響曲第9番を作曲してから死去した作曲家は、ブルックナー、シューベルト(番号に諸説あるものの)らがおり、そしてドヴォルザークもその一人だ。〝交響曲の父〟と言われるハイドンやモーツァルトは多くの交響曲を遺したが、たしかにベートーヴェン以降は9曲くらいで終わっている人が多い。
最後に、ドボちゃんがいかに鉄道マニアだったか、という話を。
彼は列車の時刻表やシリーズ番号、さらには(驚くなかれ!)運転士の名前までも暗記していたというオタクぶり。かの有名な『ユーモレスク』のリズムは、列車が走る時の線路の継ぎ目の音である。
私が愛聴するドボ8はヘルベルト・フォン・カラヤン/指揮&ウィーン・フィル(1985年録音)盤と朝比奈隆/指揮&大阪フィル(1999年録音)の2枚。この曲の名演奏を探求すれば、山ほど出てくるにちがいない。
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