アモーレ、マンジャーレ、カンターレ
日本でもっとも多く上演されるオペラは、モーツァルトの『フィガロの結婚』とヴェルディの『椿姫』らしい。
わかる気がする。いずれもメロディーが多彩で、飽きさせない。物語は他愛もないが、そんなことはどうでもいいと思わせる、圧倒的な音楽の愉しさがある。
『椿姫』の原題は「道を踏み外した女」を意味するLa traviata(ラ・トラヴィアータ)。原作はアレクサンドル・デュマの〝落し胤〟デュマ・フィスで、自身の実体験をもとにしていると言われる。父のデュマは、500人くらいの子供がいると豪語していたが(豪語するようなことでもないけれど)、なかにはデュマ・フィスのように父親の才能を受け継いだ人もいたということ。才能ある人がタネをばらまくのは、あながち悪いことではないかもしれないと思ってしまう(無責任の極みではあるが)。
オペラ界には、初演で大失敗したことから、「3大失敗作」と呼ばれる作品がある。プッチーニの『蝶々夫人』、ビゼーの『カルメン』、そしてこの『椿姫』である。
なぜ、大失敗だったのか。娼婦が主役ということで、忌避されたのか。そのあたりの事情はわからない。こんなに素晴らしい作品なのに……。
本作の主人公ヴィオレッタは、貴族を相手にする、いわゆる高級娼婦。当時はれっきとした地位として認められていた一方、庶民を相手にする娼婦は、蔑まされていた。
登場人物の相関関係は、よくありがちなパターンである。
ヴィオレッタはあるパトロンに囲われ、結核を患っている。アルフレードという田舎出の青年に言い寄られ、高級娼婦をやめて、彼とパリ近郊で同棲を始める。そこにアルフレードの父が現れ、息子と別れるよう説得する。別れを決意したヴィオレッタが理由を告げずに去ったため、アルフレードは、自分との愛よりも実利を取ったと誤解し、社交場でヴィオレッタを侮辱する。やがてヴィオレッタの病が悪化し、死の床に就く。
……と、物語はきわめて平易だ。
なぜオペラの台本は他愛ないのかと考えた。
歌を聴かせるためだろう。複雑に込み入った物語では歌に集中できなくなる。話は平易であるほど音楽に集中できる。
『椿姫』は、イタリア・オペラそのものだ。イタリア人が大切にしているのは「アモーレ(恋せよ)、マンジャーレ(食べよ)、カンターレ(歌え)」だと言われるが、そんな国民性が凝縮したような作品である。
書いているうちに、また生で舞台を見たくなってきた。
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