駆け込み寺の話
隆慶一郎の作品に『駆込寺蔭始末』という短編集がある。江戸時代、女性のための駆け込み寺だった北鎌倉の東慶寺を舞台にしたものだ。
駆け込み寺と聞いてもピンとこない人が多いと思うが、昔はDVに遭っても離縁できない女性がたくさんいた。いまでこそ、女性の天下だが、たかだか数十年前まで、女性の立場は不当に低かったのだ。これは西洋でも同じである。結婚するにしても離縁するにしても、女性が決めることはできず、どんなにひどい仕打ちも耐えなければいけなかった。
そんな状況にあって、駆け込み寺の役割は貴重で、かつ絶大であった。なにしろ、入り口の階段に一歩でも踏み入れれば、どんなに悪辣で屈強な男でも諦めなければいけなかった。現代でいえば、外国の大使館のような治外法権とでもいうのだろうか。とはいえ、駆け込み寺として認められていたのはごくわずかだった。
東慶寺もそのひとつ。鎌倉時代に創建され、明治に至るまでの約600年間、ずっと虐げられた女性を庇護してきた。
ところで、くだんの短編集によれば、東慶寺を駆け込み寺として公式に許可したのは徳川家康となっている。家康が死んだのちも、神君家康公のご免状によって、その威光が消えることはなかった。なんと、それを途絶えさせたのは、明治の悪名高き廃仏毀釈である。
現在の東慶寺は狭い境内ながら、とても風通しがいい。鈴木大拙が興した松ヶ丘文庫跡もある。
(220328 第1121回)
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