都会の真ん中に鎮守の森を造る一大プロジェクト
本書は、明治神宮造営の計画から完成までを詳細に綴ったものだ。
明治神宮が創建されて、今年で102年になる。大都会の真ん中にこれだけ緻密で広大な人工林を造成したという事例は、ほかにもあるのだろうか。明治神宮は、日本が世界に誇れる〝自然〟遺産のひとつといえる。
1912年、明治天皇が崩御すると、明治天皇を祀る神宮造営の機運が高まった。明治天皇の生涯は、日本が近代国家として歩み始めてから成熟するまでの軌跡と重なる。
最初に候補地にあがったのは、富士山麓、筑波山麓、箱根などだったが、現在の代々木を強く推したのは、なんと渋沢栄一だった。渋沢は「資本主義の父」とも呼ばれているが、東京に明治神宮を造営した生みの親でもあったのだ。当時の代々木一帯は、皇室が所有する御料地で、ほとんどが荒れ地だった。国民が参拝しやすい立地、そして明治天皇が散策にも訪れていたということも決め手のひとつとなり、代々木が選ばれた。
造林計画を任されたのは、林学者・本多静六とその弟子たちであった。大隈重信はスギ林にすべきだと主張したが、本多たちは煙害に弱いスギは都会では育たないと反論し、クスノキやシイ、カシなどの常緑広葉樹を中心に植林すれば安定した森になるとし、その計画が承認された。本多らが描いた50年後、100年後、150年後の森の絵が残されているが、ほぼ計画通りに変化していることに驚く。
全国から10万本以上もの献木があったというのも特筆すべきことだ。こづかいを寄付にあてる小学生も多かったという。よくもそれだけの木々を東京に運んだものだと感嘆する。名実ともに国民が心をひとつにした国家事業だったことが窺い知れる。
明治神宮を歩けば、落ち葉を集め、森に返す作業をしている人が見られる。落ち葉や倒木を外へ持ち出さなければ、次第に人工林が自然林に変わるという。
2011年以降、森に生息する動植物の調査をテーマにした番組を見たことがある。明治神宮は、いわば都会のなかの〝陸の孤島〟。周囲とは隔絶されている。全国から集った木のなかに隠れて〝移住〟してきた生き物が多いからか、3000種以上の動植物が生息している。さらに、固有種も多い。小笠原諸島に固有種が多いというのはわかるが、都会の真ん中に多くの固有種が生息していようとは……。
明治神宮とその西部につくられた神宮外苑。その一角に連なる新宿御苑と赤坂御所。それら一帯は、世界にも稀なパワースポットであると思っている。長い間に蓄積された人々の思いが結集しているのだから、当然といえば当然のことだ。
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