人生63年ヲ思フ
毎年、自動的に会社の創立記念日の一週間後に誕生日を迎える。今年は、63回目の誕生日。そんなに歳を重ねてしまったのか、という思いが強い。とはいえ、とくだん体に変調があるわけではない。いまでも俊敏に動けるし、筋力もある。体幹は、20代の平均的な若者よりはるかにしっかりしていると思う。
しかし、鏡の前に立って、自分の顔をまじまじ見ると、「うわっ、すごいオッサン」と思わざるを得ない。
そう、まぎれもない、〝オッサン〟になっているのだ。遠からず〝オジイチャン〟になり、いつかはわからないが、最期の日を迎えるのだろう。
これまでの節目を思い起こすと……、
10歳と20歳の誕生日は覚えていない。30歳を迎えたときは、マニラの空港近くの陰湿なホテルにいた。社員旅行でセブ島へ行くはずだったが、濃霧のため着陸できず、マニラに連れていかれたのだ。そして、「ああ、ついに30歳になっちゃった」としみじみ思った。
40歳のときは、文章修業を始めた直後で、これからどういう人生が待っているのだろうと胸踊らせていた。
50歳のときは、『Japanist』創刊号の編集を終えた直後で、当時の仲間たちにホテル・オークラのバーで祝ってもらった。
60歳のときは、『Japanist』の最終号と自著『葉っぱは見えるが、根っこは見えない』を出したあとで、心地よい充足感と開放感に浸っていた。
これまでの来し方を思うと、まあまあうまくいっている方かなと思う。なにより、過去に戻りたいと思ったことは一度もない。過去が嫌というのではなく、現在の方がずっと楽しいからだ。
そう思えるのは、30歳の頃に定めた、「多樂」という生き方の指針通りになっているからだろう。すなわち、「自分が好きなことを見つけて無我夢中で取り組み、ひとつずつ目標をクリアする。そうやって愉しみながら、自分という人間をぶ厚くしていく……。今がベストで、未来には未知の楽しみがある」というものだ。
やがてそれは、「遊びも学びも仕事もみな同じ」と思える心境へとつながっていく。一般的には、「遊びと学びと仕事は別のもの」と考えられているが、ある時期からそれはおかしいと思うようになった。そんなふうに思える人間が、不幸であるはずがない。
……と、目下の問題や悩みはなにかと考えた。しばらく考え、課題はあるものの、問題や悩みは特にないということがわかった。悩み多き世の中の人たちには叱られそうだが、事実そうなのである。生来、お気楽なのか、あれこれと思い煩うのが面倒なのか、そんな心持で日々を過ごしている。
でも、「好事魔多し」とも言う。気をつけねば。
(220411 第1123回)
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