辛酸を嘗めたあとの甘味
鈍色(にびいろ)の世界が延々続くかと思うと、最後になって彼方に微かな光がほの見えてくる。ジワーッと心の奥底に響く物語である。
筆者が初めてこの作品を読んだのは、14歳の頃。それから50年近く経て再読したが、鮮烈な読後感は、むしろ以前より強くなっている。ちなみに、世界でもっとも権威があるとされる「ノルウェイ・ブック・クラブ」は、古今東西の世界の小説100選を発表しているが、一人で4つの作品が選ばれているのはドストエフスキーだけ(『罪と罰』『白痴』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』※本コラム、file 076で紹介)。一国で1冊も選ばれていない国がほとんどなのに、一人で4冊とは!
本題に入る前に、1821年、ロシアに生まれたドストエフスキーの数奇な経歴を簡単に書いておこう。
ドストエフスキーという人間を語る際、けっして避けて通ることのできない人物が、父ミハイルだ。異常なほど癇が強く潔癖で、家族に服従を強いた。家のなかで女性のことを口にできるのは、詩を読むときだけだったという。そのためか、ドストエフスキーは女性に対する恐怖心が強く(理想化し過ぎて?)、夜会の席で美しい女性を紹介されて卒倒したというエピソードもある。しかし、そんな〝家族の絶対君主〟ミハイルは農奴たちに惨殺される。
28歳のとき、ドストエフスキーは空想的社会主義者の集まりであるペトラシェフスキー会に入り、会員らとともに逮捕され、政治犯として死刑を宣告される。マイナス20度という極寒のなか、杭に縛り付けられるが、なんと射撃の寸前に処刑は突然中止される。そんなマンガのようななりゆきはありえないと思うが、じつは皇帝の慈悲を示すために当局が仕組んだ芝居だった。とはいえ、当然ドストエフスキーは死を覚悟していたはずで、まさに死地から蘇ったことになる。
その後、4年間のシベリア流刑を宣告される。
刑期を終え、シベリアから帰還した彼だが、その後もいくつかの不幸に見舞われる。妻と実の兄が世を去り、莫大な借金だけが残されるのだ。
借金を返済するため一攫千金を狙った彼は、悪徳出版社との間に無謀な契約を交わし、前借りした金を持って賭場に出向いたが、そこでも大負けし、さらに窮地に陥った。
そんな状況下で執筆したのが『罪と罰』で、ある雑誌に連載されることになった。ちなみに、同じ頃、トルストイの『戦争と平和』もその雑誌に連載されている。なんと凄まじい時代であったことか。
出版社との契約では長編をもう一本書く必要があったが、わずか26日間で『賭博者』を書き上げた。モーツァルトは晩年、3週間くらいで交響曲を仕上ているが(しかも速記のように音符を書き連ね、修正がほとんどなかった!)、いったい彼らの頭のなかはどうなっているのだろう。
さて、作品に入ろう。舞台は、帝政ロシアの首都、サンクトペテルブルク。主人公は、頭脳明晰だが、学費を滞納したため大学から除籍されたラスコーリニコフ。
彼は、ナポレオンに影響されたのか、選民思想と特殊な犯罪論をもっていた。すなわち「あらゆる人間は《凡人》と《非凡人》に分かれる。凡人は服従の生活を営まねばならず、法律を犯す権利を持たない。ところが非凡人は、あらゆる犯罪を行い、あらゆる法律と犯す権利を持つ」というもので、ある雑誌にもそのような主張をする論文を寄稿していた。まるで独りよがりな考え方で、いまのプーチンにも通ずるのではないか。
その考えにのっとり、悪名高い高利貸しの老婆を殺害し、その金を社会のために役立てる計画を立て、斧で殺害してしまう。その後、老婆の義妹リザヴェータも入ってきたため、やむなく彼女も殺してしまう。
このクライマックスが、全体の5分の1にも満たないうちに現れる。あとは、ラスコーリニコフのしち面倒臭い理屈と支離滅裂な行動が延々続く。正直、こんなクズがどう考えようが知ったこっちゃないと思ってしまう。
ネタバレはよろしくないだろうから、物語の筋はこのへんにしておこう。私が魅了されたのは、ラスコーリニコフを真犯人と定め、執拗に追いかける予審判事ポルフィーリィとラスコーリニコフのやりとり、スヴィドリガイロフという男とラスコーリニコフのやりとりである。人はこんなにも長く話し続けるものなのかと思うくらいの長舌の合間に、真理が見え隠れする。このあたりの手法は、のちの『カラマーゾフの兄弟』の大審問官で開花する。
ラスコーリニコフの冷え切った心を、少しずつ溶かしていくソーニャの役割も印象深い。ある意味、真の主人公はソーニャではないかと思えるくらい、ドストエフスキーが理想化した女性といえる。
しかも、彼女の属性がユニークだ。家族を養うため、娼婦になっているのに、神の化身ではないかと思えるほど、清らかで慈悲深い心をもっている。
ラスコーリニコフはソーシャにこう語る。
「僕はただしらみを殺しただけなんだよ、何の役にも立たない、けがわらしい、有害なしらみを」
と言ったかと思えば、いきなり床にうずくまってソーニャの足にキスし、「僕は君に対してひざまづいたんじゃない、全人類の苦しみに対してひざまづいたんだ」とも言う。良心の呵責に遇い、持論が揺らいでいるのだ。
ラスコーリニコフに自首するよう勧めたあと、ソーニャはこう言う。
「四辻へ行って、人々にお辞儀をして、大地にキスをなさい。だってあなたは大地に対しても罪を犯したんですから。そうして世界中に聞こえるように《私は人殺しだ》とおっしゃい」
自首する前、ラスコーリニコフはふと思い立ち、そのとおりにする(自分が人殺しだとまでは言えなかったが)。
この作品には、思わずハッとさせられる台詞が数多く出てくる。スヴィドリガイロフがドゥーニャに語った次の言葉も興味深い。
「総じてロシア人というのは、国土と同じように茫漠たる国民で、幻想的なもの、無秩序なものに非常に引かれやすい」
ウクライナ侵攻を是認しているロシア人の心性を見る思いだ。
冒頭にも書いたが、この長い物語のほとんどは鈍色に覆われている。救いようがない。
しかし、それがラストのカタルシスにつながっている。辛酸を嘗めたあとの甘味は、気絶するほど魅惑的だ。
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