「奇跡の一本松」を支えた根っこ
紀尾井清堂で、あの「奇跡の一本松」の根っこが展示されていると知り、見に行った。よく知られているように、東日本大震災の津波で壊滅した高田松原のなかで唯一生き残った、あの松の根っこである。
高田松原には約7万本もの松が生えていた。そのなかで、なぜにあの松だけが生き残ったのか、ずっと不思議だった。私は震災の2ヶ月後、車で被災地を回ったのだが、その時、その松を見て、あまりの神々しさに慄いた。上部以外枝のない30m近い松は、なにかを訴えるように屹立していた。その後、地盤沈下によって塩水が根に沁み込み、枯れ始めたことから伐採されることになったと聞いたときは、自分のことのように哀れに思った。
しかし、ちゃんとやるべきことがなされていたのだ。一本松を後世に残そうという試みだ。総費用の1億5000万円が寄付によって集められ、プロジェクトは動き始めた。そして、幹と枝が技術者たちの力によって再現され、震災のモニュメントとして同じ場所に立てられた。
もちろん、幹を支えるのは根っこではない。なかをくり抜き、カーボン製の心棒を通し、鉄の基礎で支えている。枝と葉っぱは型をとってレプリカが作られた。とはいえ、幹の周りや樹肌は本物が使用されている。まさに科学と職人の力が一体となってこの〝生き証人〟をあの場所に立たせることができたのだ。
根っこを見て思った。この根があったからこそ、あのなかで唯一生き残ったのだ、と。それくらい力強い根だ。獰猛とさえ言ってもいい。やはり、樹も人間も根っこが大切なのだ。
ところで、紀尾井清堂は清水谷公園の隣に建てられている。清水谷公園といえば、私が最も敬愛する大久保利通候の哀悼碑があるところだ。大久保は明治11年、この近くで刺客に遇い、壮絶な最期を遂げている。
それだけに、今回の展示を見て格別の思いが募った。
奇跡の一本松の根っこ、どんな励ましの言葉より説得力があるかもしれない。
(220620 第1133回)
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