復讐するにも限度がある
中学生の頃、初めてエミリー・ブロンテの『嵐が丘』を読んだ。ダイジェスト版だったが、おどろおどろした強烈な印象はずっと脳裏に焼きつけられた。こんなことを考え、実行する人が実際にいるのかと思い巡らした。この小説は実話をベースにしたものではないが、それにしてもあまりに現実離れしていると思えたのだ。
長じて完全版を再読したとき、なるほどこれは「世界の10大小説」に数えられるはずだと納得した。
よく知られているように、エミリー・ブロンテにはシャーロット・ブロンテという姉がいる。『ジェーン・エア』を書いた人である。そのふたつの小説が世に出た1840年代後半、『ジェーン・エア』はベストセラーになったが、『嵐が丘』はさんざんな評価だった。時代の先を行き過ぎたのだ。いまとなっては『嵐が丘』の方が評価が高いようだ。
当時、人間の負の面が、これほど緻密に表現されている小説は珍しかっただろう。しかも、エミリーが29歳のときに発表している。とんでもない早熟な人である。『嵐が丘』を書き上げるのにエネルギーを使い果たしたのか、彼女は出版の翌年に病没してしまった。
映画で見た人も多いだろうから、あらすじは書く必要がないだろう。イングランド北部、ヨークシャーの荒野にある村を舞台にした、2家族3世代の愛憎の物語だ。
原作には、ヒースという言葉がたびたび出てくる。ヒースとは当地の平坦な荒地のことを指すが、そこに植生する植物の名でもある。
そして主人公の名は、ヒースクリフ! ヒースと断崖を組み合わせているところが、いかにも『嵐が丘』にふさわしい。
ちなみに原題は「Wuthering Heights」。「wuther」は「風が吹き荒れる」を意味する。「Wuthering Heights」は物語の舞台となる屋敷のことだが、これを『嵐が丘』と訳したのは、けだし名訳といえる。英国のロック・アーティスト、ケイト・ブッシュの代表的な曲に「Wuthering Heights」があるが、これも『嵐が丘』と訳されている。
復讐することだけを目的として嵐が丘に戻ったヒースクリフは、その後、着々と望みを果たしていくが、あるとき、取り憑かれていた復讐の念から解放される。まるで『モンテ・クリスト泊』のラストシーンのように(モンテ・クリスト伯となったエドモン・ダンテスは、復讐を完結させずに異国へ去って行く)。
それにしても、死んでから幽霊となって現れたり、死んだあと愛する女性の棺に入りたいなど、おどろおどろしいシーンがいくつもあるが、違和感を覚えないのは、作者のマジックによるものか、あるいは嵐が丘という特殊な舞台設定の賜物か。
髙久の最新の電子書籍
本サイトの髙久の連載記事