植物と日本人の深〜い関わり
「家康のあっぱれな植物知識」と副題がつけられた本書だが、全編をとおして家康の植物の知識について書かれているわけではない。植物に関する短いコラムのなかで、象徴的なコラムのタイトルを本のタイトルにしたに過ぎない。とはいえ、もっとも印象に残ったのは、やはり徳川家康の植物に関する知識の豊富さである。
静岡大学大学院教授・稲垣栄洋氏の該博な植物の知識に驚かされる。ただたくさん知っている植物学者はたくさんいるだろうが、彼の眼差しと感性は〝唯一無二〟である。本コラムで紹介したfile.096『身近な雑草の愉快な生きかた』もそうだが、植物に対する愛着と畏敬の念が伝わってくる。
本書を読むと、日本人がいかに植物を活用してきたかわかる。「加藤清正が築城した熊本城は食べられる城だった」とか「なぜ戦国武士は草食系の食事で戦い続けられたのか」など、考えてみたことも視点である。
なるほど、そういう視点でものごとを見ると、われわれ日本人と植物の深い関係が理解できる。江戸は世界最大のリサイクル都市だったし、日々命のやり取りをしていた戦国大名の家紋のほとんどが植物だったこともうなずける。
西洋の家紋といえば、ドラゴンやライオンなど勇ましいものばかり。時に植物もあるが、バラなど華麗なものが多い。対して日本の家紋は、雑草ばかり。こういう視点で日本史を紐解くという着想に感心する。
おそらく稲垣氏は、日常がスペクタクルで溢れていることだろう。さかなクンにならって「しょくぶつクン」と呼びたくなる。
本書によれば、織田信長はかつて伊吹山に薬草園を開いたという。伊吹山とは関ケ原の北に位置し、日本100名山のひとつにも数えられている。戦国武将は、ただ戦うことが好きな〝単細胞〟ではなかった。
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