菅野敬一さんとジャン・アレジ、代官山にて
急遽、F1ドライバーのジャン・アレジと菅野敬一さんが代官山蔦谷書店で会うことになり、カメラマンの森さんといっしょに立ち会うことになった。何をするわけでもなく、ただ、周りをウロウロしてテレビクルーの邪魔をしていただけなのだが。
私はその直前まで「食べない健康法」で著名な石原結實氏に取材していて、終わるやいなや急いで駆けつけ、ギリギリ間に合ったのであった。その直前、偶然というか何というか、大阪の友人から「中目黒にいるので逢えないか」という連絡が入り、事の次第を告げると彼も仰天し、いきなり代官山で落ち合うことになった。だから何? と言われると困るのだが……。
さて、私は車が好きなわりにF1にはあまり興味がなく、ジャン・アレジのことも、どこかで聞いたなあという程度だった。後藤久美子のダンナだということは、その日に知ったというような案配である(もともと、誰と誰がくっついたとか、離れたという話にはまったく無頓着で、それよりは木々の葉っぱがどれくらい色づいてきたのかという方に興味を抱くタイプだ)。
とはいうものの、ジャン・アレジも菅野さんもかっこよかった。二人ともフランス語で会話していたので、「ジャン・アレジはフランス語も話すんですね」とある人に言ったら、彼はフランス人だと教えられた。
アレジの通訳が『Japanist』を見せ、菅野さんの記事を説明するというシーンもあった。
それにしても不思議なのは、私は自分の心のおもむくままに生きているだけなのに、さまざまな一流の人物が目の前に現れる。取材をしたいと申し込むと、ありがたいことに大半は受けてもらえる。取材の謝礼も出せないし、もちろん媚びをうることもしないのに……。そのようにして多くの人たちと膝を交えて取材してきたことによって、それがそのまま自分の血肉になっているような気がする。
その結果、わかったことは、一流と言われている人は生き方に無駄がなく、さながら自然のありようにも通底するということ。「不自然な生き方」をしてうまくいっている人を見たことがない。
では、なぜ、「不自然な生き方」をしてしまうのか。
それに対する答えは無数にあるのかもしれないが、取材など仕事を通して、あるいは田口先生や座右の書物や自然のあり方から多くを教えられる。そういうものを体系化し明文化したいと思っている。
(20121112 第379回 写真はカッコイイ男ども)