死ぬまでに読むべき300冊の本
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紺碧の将

算額とひらめきで天体の動きを明らかにする

file.145『天地明察』冲方丁 角川文庫

 

 軽妙で清々しい時代小説である。

 江戸時代、改暦のために各地を歩いて天文観察をし、ついにひとつの真理にたどり着いた若き算額者・渋川春海(2代目安井算哲)の話。春海は囲碁打ちの天才でもあったが、宇宙と囲碁は共通するものがあるのだろう。人工知能との対局勝負で、最後まで抵抗したのが囲碁の名人だった(今では囲碁も人工知能にはかなわないが)。

 これを読むと、天才というのは、実際にいるのだなあと思わざるをえない。この小説にも出てくる関孝和は、算額の問題をちょっと見ただけで、いわゆる「一瞥即解」したという。数学が苦手だった筆者からすれば、とうてい同じ人間の頭脳とは思えない。

 宇宙には厳然たる秩序がある。今でこそ、いくつかの法則は解明されているが、ひとつの疑問が解明されるたびに、わからないことが増えると聞いたことがある。

 この小説では、公転軌道が楕円であることを地道な観測と算術のひらめきで導き出すシーンがある。まさに、数学とはロジックとひらめきの産物。宇宙を研究する学者の少なくない人が宗教に関心をもつと言われるが、そうならざるをないのだろう。

 江戸時代の算額のレベルの高さにも驚く。算額好きが銘々自分で問題をつくり、神社へ算術絵馬として奉納する。それを見て問題を解き、答えを書き記す。正解であれば「明察」との文字が書かれる。

 難解な問題を解くのはもちろん、問題を作ることの方が難解らしい。まして、それまでになかった問題で、答えが必ずひとつだけあるという問題を作るのは至難の業。時には、答えが出ない問題もあるが、それもまた「答えはない」という答えが必要だ。そんな知的遊戯がみごとに描かれている。当時の人々の「真実を求める心」は現代人のそれと比較にならない。これこそ知的好奇心というものだ。

 物語のなかで、保科正之の名君ぶりが描かれる。保科正之は、2代将軍・秀忠の婚外子だった。秀忠は極端な恐妻家で、自らの子として育てることは断念し、武田信玄の次女・見性院に預けた。なにしろ、妻はあの淀君の姉・お江である。秀忠の婚外子はけっして認めず、密かに殺してしまうという怖い妻だった。

 その後、見性院の縁で旧武田家臣・保科正光の養子となる。

 実際、保科正之は名君の誉れが高かった。ある意味、天地明察の陰の功労者と言っても過言ではない。

 改暦がなされる前、朝廷(というより公家勢力)がいかに暦を既得権益化していたかもわかる。

 さらっと書かれた軽妙な筆致なのに、読後の手応えはずしりと重い。これこそ名著たる所以であろう。

 

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