金の流れの話
飛行機の窓からシベリア付近を見下ろしていたとき、川の流れがくっきりと見えた。なるほど、水の流れはあんな風に地球上を巡っているのかと感心した。水はひとつのところに留まることなく、ずっと循環している。その秩序が不思議だった。
同じように、金の流れもあるのだろう。そう思ったのは、歩いて数分のところに建った高級マンションの話を聞いたからだ。一番下の階でも2億円以上、最上階に至っては6億円を超える。それでも購入希望者が多いため、抽選になったという。
「いったい、どんな人が買うのだろう」
「あるところにはあるんだね」
という会話に落着するのがふつうなのだろうが、ふと考えてしまった。金の流れについて、である。
黒田総裁の異次元金融緩和とコロナ対策などによって市場に膨大な金が供給されている。平たく言えば、国民(あるいは国内の組織)に金をバンバン配っているのだ。私を含めた大多数の人は、金を支給されても使ってしまうか預金として貯めておくか。いずれにしても、その金が増えることはない。
使えば、どこかへ流れていく。店、企業……。個人に消費してもらった会社とて、なにかしらで使うから、またどこかへ流れていく。
そうやって流れた金の大半は、資本主義の原理に知悉し、手元の金を大きく膨らませる人(組織)に行き着くにちがいない。そのたどり着いた先が、大手ファンドだったり投資家だったりするのだろう。しかし、そこは巨大なダムのようで、地球上を巡る水の流れとは異なり、個人に還流することはほとんどない。ひたすらより大きな利益を求めて流れていく。その〝おこぼれ〟がくだんの高級マンションなどに向かっているのだろう。そういう人(会社)にとって6億円も投資行為だから、高い消費ではないのだ。要するに、金をただ消費する(あるいは貯蓄する)人と、それを元手にして増やす術を知っている人の差ということになるのだろう。
私は利殖という行為にはほとんど興味がないが、興味がある人もいる。そんな結論で一件落着。
なにはともあれ、金は稼ぐことより、使うことにその人の個性が現れる。スマートに使いたいものだ。
(220123 第1164回)
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