心の襞が重層的に織りなす美しい物語
——蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした。
冒頭が印象的だ。
錦繍とは、日本の山河が織りなす美しい風景をいう。この作品はタイトルにふさわしく、二人の人間が重層的に織りなす心の交流を、書簡形式で表現している。
宮本輝初期の傑作『錦繍』は、恋愛沙汰がもとで別れた一組の男女が、10年の時を経て再会し、手紙を交わしながら互いの孤独を丹念に綴っていく物語。人間というものはなんと愚かで、それでいて愛おしい生き物であろうかと思い知らされる。
二人は離婚した時点で別々の人生を歩み始めた。しかし、哀しい出来事を共有しているからこそ、心が離れることはありえない。むしろ、意識するしないにかかわらず、深い寂寞のなかで互いの存在感は増すばかり。
二人には往復書簡によって互いの心の隙間を埋め尽くす作業が必要だった。その過程が、実にみずみずしく描かれている。そこに悔恨や相手への非難など、マイナスの感情が感じられないのは、どうしてだろう。
読み終えると、心の中を丸洗いしてもらったような気にさせられる。宮本輝は、正気と狂気の端境にまで自分を追い込みながらこの作品を書き上げたというが、全霊をこめて作品と格闘したのだろう。その痕跡が生々しく残ってはいるのだが、それらも含めて清々しい。
私は宮本輝の作品をほとんど読んでいる。
本コラムで紹介した『流転の海』シリーズの他、泥の河、青が散る、春の夢、避暑地の猫、ドナウの旅人、優駿、花の降る午後、愉楽の園、五千回の死、ここに地終わり海始まる、彗星物語、オレンジの壺、焚火の終わり、草原の椅子、睡蓮の長いまどろみ、森のなかの海、にぎやかな天地、草花たちの静かな誓い、田園発 港行き自転車……、いずれも心の奥深く、暖かな異物となって沈殿している。ときどき、倫理的になりすぎて、もうちょっと人間の暗黒の部分を出してもよさそうなのに、と思わないこともないが、それも宮本輝という人間性ゆえなのだろう。
彼はある新聞のインタビューで、こんなことを語っている。
「最近の小説が放つ匂いと、僕とか昔の小説が放つ匂いは、根本的に違うな。最近の若い人は、生身で付き合うことが少ないんじゃないか。個対個になっても、オーバーコートを着てるから、書けない」
……と若い世代へ苦言を呈しているが、それは宮本輝が時代の流れからはずれたからでもあるのだろう。たしかに、彼の作品は〝古風〟である。
ついでに私も宮本輝に苦言を呈してみようか。最近の作品は、自己模倣の傾向が強いのでは? 出版社の都合なのか、あえて上下巻にしなくてもいいものを無理に膨らませている感がある。やはり、宮本輝の傑作は初期に集中している。
余談だが、この作品をドラマ化しようとした人がいた。原作者の厳しい条件をクリアした企画が完成したのだが、のってくるテレビ局がなかったという。
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