燃える情熱と冷静な判断力を、どうやって魂の中で結びつけるか
本書は、志ある政治家にとってのみならず、自らの天職を定めたい人たちにとってもバイブルとなっている。なぜ、そうなりえたかと言えば、ここには人間存在の本質が書かれているからだ。
小さな文字とはいえ、文庫本で106ページ。さほどの文量ではない。しかし、ここに書かれた本質を酌み取ろうと意識を働かせると、意外にてこずる。
私はこれまでに多くの政治家を取材してきたが、波長が合う人にはマックス・ヴェーバーの言葉を引用したものだ。
名文がある。
「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。この世の中で不可能事を目指して粘り強くアタックしないようでは、およそ可能なことの達成も覚束ないというのはまったく正しく、あらゆる歴史上の経験がこれを証明している」
この本を読みこなすにも、堅い板にじわっじわっと力を込めて穴を開けるような根気がいるようだ。
本書は、祖国ドイツが第一次世界大戦で敗れた直後の1919年、騒然とした革命的雰囲気の中、ミュンヘンで催された学生団体(自由学生同盟)向けの講演の記録である。だからこそ、この講演は、抽象的な政治論ではありえなかった。現に目の前に自分たちの政治的課題が数多く突きつけられている状況下での、魂の叫びともいえる講話なのだ。
マックス・ヴェーバーは祖国を深く愛していたのだろう。厳しく、真摯な言葉の端はしから、彼の祖国愛がにじみ出てくる。そう思って、表紙の肖像写真を見ると、なんと憂いに満ちた、知的な表情をしていることか。
本書を読み、あらためて政治というものがいかに難しく、そしてまた尊い仕事であるか痛感させられた。けっして、片手間にできるような仕事ではなく、まして使命感や大義を自覚していない凡庸な人が踏み込む領域ではない。しかしまた、現実に目を転ずると、そうではない政治家がこれほど氾濫しているというのは、いったいいかなる理由によるものなのか。
ヴェーバーはこうも言っている。
「単なる情熱だけでは充分ではない。情熱は、それが『仕事』への奉仕として、責任性と結びつき、この仕事に対する責任性が行為の決定的な規準となった時に、はじめて政治家をつくり出す」
つまり、政治家にとって情熱は必要なものだが、やみくもに情熱だけが先走ってもダメだと言っているのだ。
「燃える情熱と冷静な判断力の二つを、どうしたら一つの魂の中でしっかり結びつけることができるか、これこそが問題である」とも言っている。
その問いに対する正解などないだろう。それぞれの政治家が、人間が煩悶しながら答えを導き出す以外にない。
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