要害山に登る
登山と歴史探訪の一挙両得。体が喜び、想像を駆使することで心も喜ぶ。こんな極上の遊びはなかなかない。なんとも贅沢である。
武田神社(躑躅ヶ崎の館)の北側にある要害山に登った。標高はわずか780メートル。武田信玄が生まれた場所として知られる。
築城したのは、信玄の父信虎。通常の政務は躑躅ヶ崎の館で行い、緊急時に立てこもる詰め城として築かれた。
大永元年(1521年)、今川氏親(今川義元の父)の命によって福島正成が甲斐に侵攻し、その結果、信虎の身重の正室大井夫人を要害城へ避難させた。そして11月3日、武田信玄が生まれた。
往時の痕跡はほとんど残っていない。せいぜい曲輪、門跡、不動明王像くらいか。だが、それだからこそ想像力を刺激してくれる。いちばんひどいのは、当時の姿を再現するのではなく、現代の感覚で勝手に再建してしまうこと。例えば、天守閣がなかった時代の城を再現するのに天守閣をつくってしまうとか。そういう事例はたくさんある。
502年前のことを想像した。「そうかあ、ここで晴信(幼名は勝千代)は生まれたのかあ」と感慨もひとしお。そういえば、2年前に甲府を訪れたとき、信玄生誕500年祭をやっていたなあと思い出す。コロナ禍で大々的なイベントはなかったが、信玄ファンの私としては駅の特設展示物を食い入るように見ていた。
要害山の頂上へ向かって歩く
門跡
不動明王像
曲輪
頂上
頂上にある東郷平八郎揮毫の碑。「武田信玄公誕生之地 東郷平八郎書」とある。連合艦隊司令長官として、東郷は信玄の人心掌握術を手本にしていたのかも
要害城図
(220501 第1177回)
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