天国へ行くのに有効な方法は地獄へ行く道を熟知すること
イタリアで長く暮らし、大長編『ローマ人の物語』を著した塩野七生が『君主論』で知られるマキャヴェッリの言葉を集め、紹介したもの。
マキャヴェリズムは、人間が本来もっている善と悪のうち、特に「悪」の部分にフォーカスしている。「話し合えばわかり合える」とする性善説の人たちには否定的に見られがちだが、現実社会を見れば、「そうともいえるが、国と国との関係においては非現実的な夢物語」であることがわかる。
人間の善なる部分と悪なる部分。割り合いは異なるにせよ、だれもが両面を併せもっている。人間として修養していくことを考えれば、前者を育むよう努力すべきなのは言うまでもない。しかし「人間とは善なるものだ」と断定してしまう人間観は危険だ。
では、どのような人間観がいいのか。
なるべく善の部分を見つめ、育み、良好な関係を保とうと意識することではないか。
そのためには、マキャヴェリズムと儒学のように、まったく異なる思想を組み合わせて学ぶことも有効だ。マキャヴェッリも言っている。「天国へ行くのに最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することである」と。
自分を客観視すると、性善説と性悪説が微妙なバランスで拮抗していることがわかる。基本的に、交友関係がある人は信用している。自分が経営する会社の社則がほとんどないというのは、その現れだ。なんでもかんでも規則化するのは、性悪説ゆえである。そういう意味では、現代社会は性悪説の塊と言っていい。
一方、私は知らない人に関しては性悪説だ。だから用もないのに近づいてくる人を信用していない。SNSにも距離を置いている。
そもそも性善説は、悪でもある。
例えば、振り込め詐欺は30年以上前からあるが、これだけ注意を促されても減らないどころか増えているのは、無邪気ともいえる性善説に固まっているからだ。悪意を疑わないからホイホイと騙される。その結果、詐欺をやって労せずして金儲けをしようとする風潮を助長している。
本書のなかから、マキャヴェッリの言葉をいくつか紹介しよう。
――人間は必要に迫られなければ善を行わない。
――人は、生来の性格に逆らうようなことは、なかなかできない。それまでずっとあるやり方でうまくいってきた人に、それとはちがうやり方が適策だと納得させるのは至難の業である。
――民衆というものは、しばしば表面上の利益に幻惑されて、自分たちの破滅につながることさえ、望むものだ。
――民衆は、群れをなせば大胆な行為に出るが、個人となれば臆病である。
――君主国であろうと共和国であろうと、どこの国が今までに、防衛を他人にまかせたままで、自国の安全が保たれると思ったであろうか。
――ある人物を評価するに際して最も簡単で確実な方法は、その人物がどのような人々とつきあっているかを見ることである。
さあ、どうだろうか。禅語にもある。「好事不出門 悪事行千里」(良いことはなかなか広がらないが、悪いことは一気に拡散していく)
だからこそ、「善なること」や「美しいもの」は価値があるのだろう。
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