日本の歴史は一本の線でつながっている
折りに触れ、何度も読んでいる。なにより渡部昇一氏の歴史に対するスタンスに共鳴できる。
曰く「歴史とは単なる事実の積み重ねではなく、虹のようなものである。歴史的事実という水滴を、日本という場所、現代という時代から、われわれの目を通して眺めた時に見えてくるもの。それこそ日本人にしか見えない虹、国史(=国民の歴史)である。自分の目に虹のように映る国を持てることがなによりの幸いである」。
つまり国史と史実はちがうのだと。無数の歴史的事実から自分の国の美質を示すものが史観だという認識は納得できる。それと対極をなすのが、いわゆる自虐史観であろう。どの国にも負の歴史がある。それを隠蔽するのは論外だが、そういう事実を踏まえたうえで、自国の歴史の良い部分を見出し、後世に伝える。それが本来の歴史教育だと思う。
本書は、歴史を深掘りしたものではない。手軽に読めるし、時には「渡部さん、ちょっと安直ではないですか」と突っ込みたくなる部分もあるが、概ね共感できる。さらに、日本の起源を神話に遡っているため、それ以降の流れがスムーズに理解できるし、世界にも稀有な国柄だということがわかる。
とどのつまり、歴史とは無数の原因と無数の結果の連なりであり、そのうちのどれをピックアップするかですでに恣意的と言わざるをえない。ゆえに完全に公正な歴史などこの世にありはしない。戦後、左翼史観に基づいた歴史教科書では明治以降を軽視していたが、それこそが恣意的(色メガネ)の最たるものであろう。
氏の歴史観がすこぶる健全だと思うのは、戦国時代に対する見方である。負の面をあげればきりがない時代だが、渡部氏はこう喝破している。
――群雄割拠というのは確かに人間のレベルを上げる。ゆえに、まともな封建時代がない国は近代国家になれなかったといわれるのである。発達した封建時代があった国は西ヨーロッパと日本だけであって、インドにも中国にも朝鮮にもなかった。それらの国の近代化は、植民地または半植民地の時代を通過するか、共産革命を通過するしかなかった。
まさしく慧眼というべきである。
読み返すたび、日本の歴史が一本の線でつながっていることがわかる。
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