政治不信極まれり
私はなんでもかんでも政府を批判するのは好きではない。彼らは国民とは比較にならないほどの重責を担っている。重箱の隅を楊枝でほじくるような行為は恥ずかしいとさえ思っている。
しかし、それは彼らがきちんと仕事をしているという前提があるからそう思うのである。
安倍派の議員たちによる、パーティー券収入の一部を還流させ裏金にしているという実態を知り、どうやらこの国に「本物の政治家」はほとんどいないのだなと思った。失望を通り越して、怒りがこみあげてくる。
年々、税務・会計のルールは細かくなる一方で、まったく生産的でないことを国民に課すのは莫大な経済的損失でもあると思っている。立替金の処理だけでも煩雑このうえない。それでも従っているのは、法律があるからだ。
そんな状況下、遵法精神がない議員があまりに多いことに驚く。
古来、民に厳しくするだけで自分は例外と思っている為政者はかならず失脚している。信長は家臣に殺され、秀吉は誇大妄想と被害妄想の渦のなかで死んでいった。対して家康は、征夷大将軍に任ぜられ幕府を開くや、すぐさま「郷村法令」を発した。これは武士が農工商人を斬るのを禁じた掟である。上意討ちが当たり前とされていた時代、きわめて画期的である。それほどに家康は、まず上位の者がけじめをつけることを重視していた。
また武田信玄は天文16年(1547年)、26歳のときに発布した「甲州法度之次第」という民法のなかで、「晴信(信玄)の行為や、その他法度以下のことについて異論があるならば、貴賤にかかわらず目安に書き記して申し出でよ。時により修正を加える用意がある」と記し、国主であっても、法度に反した場合は身分の別を問わず訴訟を申し出てよいと明記している。
ふたりとも、為政者である自分だけを例外とせず、そのうえで法を守ってほしいと民に訴えた。
いったいはした金をちまちまと溜めて、何をする気なのだろう?
また、松野官房長官をはじめただペーパーを読むだけの議員が多すぎる。ただ読むだけなら中学生でもできる。どうして自分の言葉で国民に語れないのか。もちろん、考えていないからだろう。
自民党はこんな体たらく、野党は矮小化の一途をたどるばかり。
国民の政治不信はもはや止められない。
(231210 第1201回)
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