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紺碧の将

台風と日本人

2012.06.21

 今回のテーマは、「台風と日本人」。あるいは「自然災害と日本人」でもいい。

 去る6月19日、台風4号のおかげでさんざんな思いをした。夕方、岡山県総社市での取材が終わり、ローカル線でスタコラと岡山駅に向かい、ほぼ定刻通りの新幹線に乗れたものの、名古屋を過ぎたあたりから様子がおかしくなってきた。ノロノロ運転が始まり、ついに豊橋駅近辺の線路上で立ち往生。車内のアナウンスによれば、台風の進路とともに新幹線は北上しているとのこと。強風が去るのを待って出発するというのだが、なかなか動く気配がない。そのうち、強風だけではなく、「停電」や「富士川の水が氾濫し、危険水位になってきた」というアナウンスがあり、事態はいよいよ深刻に。少し走ってはまた立ち往生という繰り返しで、結局、8時間も新幹線に乗った末、深夜1時頃、浜松駅で無理矢理降ろされた。

 前後の新幹線も含め、乗客は数百人なのか数千人なのかわからない。その膨大な人数が深夜、どっと駅から出て、みんなでホテルを探すのだから、ちょっとしたパニック状態に陥った。スマホでホテルを検索しかたっぱしから電話する者、駅近辺のホテルに駆け込み部屋をとる者など、皆騒然としている。

 あきらめかけた頃、駅から少し離れたホテルの部屋を押さえることができた。ツイン一部屋が空いているという。ちょうどそのとき、困惑している表情の50男が目の前にいたので、「部屋をお探しでしたら、ツインが空いているというのでごいっしょにいかがですか?」と携帯電話片手に尋ねると、「ぜひ、お願いします」と言う。

 結局、見知らぬ人とひと晩を過ごしたわけだが、最後まで互いの名前も明かさなかった。というより、話す気にもなれないほど憔悴しきっていた。

 ホテルの部屋をとったからといって、始発に乗るつもりだったので、ベッドに入れるのは3時間程度。しかし、その辺で雑魚寝ができるほどたくましくない私にとっては、不幸中の幸いだった。

 ところが、その男に助け船を出したことが「不幸中の幸い中の不幸」だったことが間もなく判明。なんとその男は、アンプで増幅しているのではないかと思うほど、バカでかい鼾をかいて熟睡してしまったのだ。私はといえば、その鼾がうるさく、気が狂いそうになるのをこらえながら夜を過ごしたのであった。トホホ……。

 翌朝、駅へ行くと、大勢の人が構内で雑魚寝をしていた。もちろん、女性は一人もいない。彼女たちはどこへ泊まったのだろうと思いながら、釈然としない心もちだった。

 

 ところで、やっぱり日本人は、自然災害に対しては寛容というか、従順というか、夜中の1時頃に強制的に新幹線から放り出されても誰一人文句を言わない。中には性格に問題ありげな人もいたが、彼ら彼女らも淡々と駅の改札をすり抜けていった。

 「なんで新幹線のなかに居させてくれないんだ!」とか、「なんでもっと早く結論を出してくれなかったんだ!」と詰め寄る人がいてもおかしくはないが、一人もそういう人はいない。

 長い歴史のなかで、「自然災害だけはどうにもならない」「誰に文句を言ってもしかたがない」という観念が培われ、知らず知らずのうちに日本人のDNAに定着してしまったのかもしれない。あるいは、日本人は、心底から自然に対し、畏敬の念を抱いているのかも。そんなことをボーッと考えながら、疲労困憊状態で東京に戻ってきたのであった。

 とはいえ、そのアクシデントは東日本大震災の直接の被害者の比ではない。新幹線が途中で止まってしまったくらい、どうなのだ、という気もした。

 これからも日本人は甚大な自然災害に見舞われることだろう。そして、その都度、淡々とその事実を受け容れ、また復興させていくのだろう。そんなことを予感した出来事であった。

(120621 第348回)

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