今こそ読みたい、入魂の国家大計
当時、杉並区長だった山田宏氏(現参議院議員)の国家構想を著した本書は、埋もれた名著といえる。
2009年の発行から15年以上過ぎているが、社会を見通す著者の眼力に感服するとともに、この15年間における日本の劣化に愕然とする。
どうしてそのような体たらくになってしまったのか? この国の政治が国民の向上心を引き出すものではなく、依存心を助長するものであったからではないか。
長らく日本の政策の最上位は「経済対策」であったが、それは言い換えれば、国民の依存心を増長させるものでもある。政治家はある意味〝人気商売〟でもあり、有権者の歓心を買う政策を優先するのは仕方ない一面もあるが、度が過ぎている。いったいどれほど多額の血税が経済対策に使われてきたか。しかしその間、日本経済はいっこうに好転していない。むしろ下降の一途をたどっている。
それらを踏まえてこの書を紐解くと、政治の要諦とは国民の心をいかに集らしめることにあるかということがわかる。本書では、政治を次のように定義する。
――政治とは国家の運命を拓き、国民の幸福を実現するための、崇高な国家経営である。
そういう定義に基づき、人間とはどのようなものか、日本とはどのような国かという問いから始めている。
人間とは「人生を通して、自分は天分を活かしきれたと感じることができたのなら幸せ」だと感じられるということ。だれにも、その人ならではの存在理由がある。であれば、それぞれがその存在理由を発揮し、生ききることこそが本来の姿だと。
そのような大前提を考慮しない経済対策は、血税をただドブに捨てるに等しい。その証拠にさまざまな面で日本の国力は落ち、民心が荒廃した。私は2つ前の本コラム(『松下政経塾塾長講話録』)で「政策論議において第一に掲げるべきは経済対策より憲法改正であり、次いで教育である」と書いているが、その気持ちは本書を読んでさらに深まるばかりである。それができれば、経済は自ずと上向くと思っている。なぜなら、背筋が伸びれば、放っておいても人は努力するようになるからだ。
本書には、次のような記述もある。
――はるか彼方の先祖からはるか彼方の子孫へと脈々と続いていく「いのちの連鎖」という縦軸と、いまを生きるさまざまな「いのち」とのかかわりという横軸のなかに自らの存在意義を明確に位置づけ、輝かせることが、天分を活かしきるということ。
過去に生きた人の叡智を尊重する姿勢は保守の本質である。それがあってはじめて自分以外の他者への意識が芽生える。そして、その先に幸福感がある。「天分は他者のために活かしてこそ輝く」からだ。
松下幸之助は生前、無税国家構想を唱えていたが、山田氏もその影響を色濃く受けており(山田氏は松下政経塾2期生)、次のように書いている。
――国が高い税金を課して国民の知恵と汗で得た財産を集めることはよくない。なぜなら、自分のお金は大事に使い、人のお金は無駄に使われるのが人の世の常。「人のお金」の最たるものが税金だからである。
――国家経営は、いかに少ない税金でよりよい政治を実現するかという目標に向かって、絶えず行政改革の知恵を出し続け、実行していく営みである。
自分が国や社会の客人ではないという意識をもち、自らの天分を見つけ、それを他者(社会)のために使い切る人が多くなれば、自ずと社会は良い方向へと変わり、本人も幸福感に満たされる。その好循環をつくる営みこそが政治である。けっして人気取りのバラマキ合戦によって国民を劣化させることが政治ではないはず。
数時間で読める本書には、本質がぎっしりつまっている。
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