現代の仏師
『Japanist』第19号(2013年10月発行)で、彫刻家・須田悦弘氏を紹介した。そのときのタイトルは「花の命を木に彫り込む」。朴の木に原寸大で草花を彫刻し、会場そのものを表現の場とするインスタレーション作家でもある。現在、渋谷区松濤美術館で「須田悦弘」展が開催されている(2025年2月2日まで)。
彼は形をデフォルメしない。あたかも形を歪めるのは草花に対する冒涜とばかり。本物とみまごう。会場の片隅にひっそりと息づく雑草に気づかず、誤って踏んでしまいそうである。
取材のとき、須田さんはこう語った。
「最近、自分が花たちに作らされているような感覚を覚えるんです」
草花と格闘した末の感懐であろう。そのときすでに20針以上もの傷を自身の手に刻んでいた。そんな彼の作品を最初に買った人は、ドイツのギャラリストだった。以来、須田さんの作品は海外で人気を博している。
あれから10年以上が過ぎ、須田さんに対する私の見方に変化があった。須田悦弘は現代の仏師ではないか、そう思うようになったのである。もちろん、須田さんが仏像を彫っているわけではない。しかし、「尊いものは姿かたちを変えてこの世に現れる」という本地垂迹(ほんじすいじゃく)の考えに照らせば、草花は仏の仮の姿なのではないか。その証拠に、つぶさに見れば見るほど、この世のものとは思えないほど美しい。それを寸分たがわず木に彫り込みたい、そう思わせるのは自然の理といえる。
須田さんは「もともと私は端っこや隙間が好きなんです」とおも語っていた。会場のそこかしこにひっそりと佇む須田作品を目の当たりにすれば、世界の見え方が変わるかもしれない。
アサガオ
モクレン
天井を見上げると……バラが
展示ケースの片隅に
こんなところにドクダミが
2024年12月15日、公開制作が催された
白井晟一設計の松濤美術館
(241214 第1250回)
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