金の正体を見極めるに最適の書
本書の主人公・スクルージほどではないにせよ、私はクリスマスに心を動かされたことがほとんどない。キリスト教徒でもないのになんで祝ったり贈り物を交換したりケーキを食べたりするわけ? という高尚な理由ではない。単に、子供の頃からみんなと同じことをするのが嫌いなへそ曲がりだったというだけ。じゃあ、なんでキリスト教徒でもないのにレクイエムを聴いて感動するの? と言われたらぐうの音もないのだが。
苦し紛れの言い訳をすれば、「その気になれば、いつでもお祝いや楽しみをつくれるじゃないか」という考え方が背景にある。いずれにせよアマノジャクな人間なのだろう。
そんな人間だが、20代の前半、クリスマスの時期になると毎年のようにディケンズのこの作品を読んでいた。短いから気軽に読めるうえ、とても大切な真理が含まれていて、これから人生を拓くうえで力になると思えたからだ。
なぜ、そう思ったのかといえば、金というものの正体を見極めたかったからだ。誰にとっても金は大切なもの。しかし、声高にそれを唱える人は少ない。とはいえ、ほんとうに金はそれほど大切なものなのか。こういう本質的な問いに答えられる人は存外少ない。答えがあるとすれば、いにしえから読み継がれてきた文学ではないか。そんな素朴な問いに、この『クリスマス・カロル』やスタインベックの『真珠』、そしてバルザックの長編群は多くの貴重な示唆を与えてくれた。
「世の中、金じゃないよ」は間違っている。
「世の中、金で買えないものはない」(ホリエモン)も間違っている。
その塩梅を見つけるのがセンスであり、人生の醍醐味ではないのか。
本書の物語を要約すれば、守銭奴スクルージがクリスマスの日に、過去・現在・未来を旅することで改心するというもの。現実にはありえない話であるが、ただの絵空事とはいえない。こういう形でしか本質を明示することができない場合がある。
物語についてこれ以上書くことは控えたい。だが、どのような理由でスクルージが金の本質をつかみ、心を変えるのか、それを知るだけでも読む価値はある。どの時代やどの国に生きているかにかかわらず、応用可能なものである。
ディケンズは若い頃、職工や法律事務所の事務、新聞記者などさまざまな仕事に就いて人間の機微を観察していた。その成果が『クリスマス・カロル』でもある。
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