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紺碧の将

歴史に学ぶか否か

2025.01.19

 先日、朝起きて、いつものようにゴミ出しをしていたら、ばったりマンションの管理人さんと会った。新年の挨拶などを交わした後、その人はおずおずとこう切り出した。

「あの、髙久さんはときどきベランダに国旗を掲げていますか」

 そう聞いた瞬間、もしかしたら近所から苦情が来ているのかもと思った。苦情を言われる筋合いのものではないが、近くには共産党の本部もある。ヘンな人がいちゃもんをつけてきてもおかしくはない。

「ええ、祝祭日には揚げていますが……」 

 すると、こう言葉を継いだ。

「隣りのマンションの方が日の丸を見るのを楽しみにしているというのですが、この前、揚がっていなかったので心配したらしいんですよ」

 それを聞いて合点した。風邪気味だったこともあり、うっかり失念していたのだ。

 私はこんないい国に生まれて良かった、ありがたいなという気持ちを込めて祝祭日に国旗を掲げているのだが、それを見るのを楽しみにしている人がいるということが嬉しかった。

 

 あらためて断っておくが、私は特別な政治思想を持っているわけでもないし、右翼でもない。保守思想にはまちがいないが、極端な保守は嫌いである(もちろん極端な革新はもっと嫌いだ)。ときどき新聞で保守系の雑誌の広告を見るが、踊っている見出しを見ると、うんざりすることが多い。下品で狭量で、どこかのリーダーに重なってしまう。

 もちろん、いろいろな考え方があっていい。完全に同じ考え方の人間など、この世に一人といないと思っている。要は、人それぞれ考え方が異なるという前提で対話をすることである。それによって溝が埋まったり、相手に対する理解が深まることがある。それを省いて、一方的に相手をこき下ろすのは下劣な手法である。

 私の立ち位置は、真ん中よりちょっと右側。それが自然だと思っている。この国に生まれ、育った以上、完全に中立ということはありえない。自国を贔屓にするのは自然の情というものだろう。

 

 保守と革新を分けるのは、歴史に対するスタンスではないか。保守は過去に生きた人たちにリスペクトを払い、現代に活かせるものは活かそうとする。革新は過去に生きた人は現代人より劣っており、間違いもたくさんしておかしているという考えに基づき、理性をもって新しい制度をつくろうとする。そのため、〝進歩的知識人〟などと呼ばれることがある。知識人ではあるかもしれないが、けっして進歩的とは言えない。

 歴史を見ればわかるように、革新の思想でつくりあげた政治制度はことごとく失敗している。なぜかといえば、現代人は過去に生きた人たちより進歩していないからだ。私は歴史が好きだから、過去に生きた人の営みをつぶさに知ることが多いが、つくづく思うのは、現代人は進歩どころか多くの面で劣化しているということ。

 現在、ちょっと前には起こらなかったような犯罪が多発しているが、これからもっともっと増えるだろう。なぜなら、現代人は歴史に学ぼずに場当たり的な解決法で対処しようとしているからだ。理性などと言っているが、それがいかに薄っぺらで付け焼き刃のようなものか、知らない人が多すぎる。特に知識人と言われる人たちは。

 歴史に学べば、多くの課題は解決できると信じている。人間の本質は、紀元前から変わっていないのだから。

(250119 第1254回)

 

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