No answer is also an answer.
答えないこともひとつの答えであるということわざが西洋にもあったことに驚かされる。おそらくヨーロッパに限ってのことだと思うが、沈黙・黙秘がひとつの手段として認められていたということだ。
この価値観は、ディベートが重視され、相手を論破することに重きを置かれているアメリカでは通用しないだろう。以前、NHKの英会話でアメリカのハイスクールにおけるディベートの授業が取り上げられていたが、それは凄まじいものだった。あるテーマを設定し、一対一で論戦を交わすのだが、あらかじめ賛成派と反対派のどちらに与するかくじ引きで決める。つまり個人の考え方は考慮しない。どちら側の言い分も主張できるように訓練するのである。スピーチをする生徒たちは、相手の主張には耳を傾けず、マシンガントークで息も切らせずまくしたてていた。
そのとき思った。仮に決着がついたとして、負けた側が本心から納得することはないだあろうな、と。であれば、その代償は後に支払うことになる。基本的に論戦(ディベート)と対話(ダイアログ)は別物である。
トランプは、まさにそういう教育の申し子といえる。相手の言うことには耳を傾けず、ひたすら主張し、ブラッフ(脅し)をかけて難詰する。はじめにハードルをかなり高くしておいて、その後、落とし所を少しだけ下げる。これが彼の「取り引き」の手法である。
おっと、話が脱線してしまったが、これを機に「沈黙は金なり」「言わぬが花」の真価をもう一度考えてみたい。
(第137回 250302)
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