左馬之助の樹徳
窓を開けると、左馬之助がいる。深呼吸をし、まず50回スクワットをする。
と書くと、なんのこっちゃ? と思うだろうが、上の写真のようにケヤキの左馬之助である。住まいは新宿御苑の外苑西通り近く。少なくとも人間が見ている時間帯は、一歩たりとも動かない。
私の師匠は、田口佳史先生と植物であると書いたことがあるが、植物のなかでは特にこの左馬之助に世話になっている。本来なら、「左馬之助先生」と尊称をつけなければならないほどの方である。
なにしろ、とびきりの不動心をお持ちだ。ちょっとのことでは動じない。「賢者は称賛にも批判にも動揺しない」という言葉通りである。若い頃、そうとう精神と肉体を鍛錬したにちがいない。
ところで、なぜか幹は首のあたりでポッキリと折れている。台風に直撃されたのか、あるいは落雷を受けたのか。その部分から小さな枝が上空に向かって伸びているものの、痛々しいことに変わりはない。しかし、それでもネガティブなことはいっさい言わないからエライ。
さらに、この先生は、風情もある。季節の変化に合わせて表情を変えるのは得意中の得意だ。もうすぐ緑の葉を生い茂らせるはずだし、夏になれば涼しい風を吹かせてくれる。秋には衣替えをし、やがてストリップショーまで演じてくれる。雨の後は水滴を放さず、ご覧のように枝にはべらせることができる。まさに匠の技である。
そんな左馬之助に、今までどれだけのヒントをもらったことか。もちろん、具体的な言葉によるものではない。しかし、時として、言葉よりはるかに明確なメッセージをくれることがある。
「道の道とすべきは常道に非ず」
『老子』の最初は上のような文章で始まるが、つまり、これがこの世を統べる道ですよと説明したとたん、それはもうすでに道ではないという意味。言葉で伝えられるものには限界があるということだろう。そう思うと、言葉による伝達に多くを頼っている私の仕事はどうなんだ? ということにもなるのだが、もちろん、言葉の有効性を疑っているわけではない。
今、とても残念なのは、現代人の99%以上が、忙しさにかまけて自然からのメッセージを受け取ることを怠っていること(あくまでも推測だが)。これは田舎に住んでいるか都会に住んでいるかということとは関係がない。自然に囲まれていても五感の扉を閉じていたら自然とは無縁に等しいし、都会に住んでいようとも積極的に自然を求めれば、自然はその恵みを惜しみなく与えてくれる。
私にとって、その代表格が左馬之助なのである。
(130314 第408回 写真は、新宿御苑に生きる左馬之助)