早期発見・早期治療・早期死亡
上のタイトルを読んで、どう思うか。
「ふざけたことを書くんじゃない」と思うか、「いや、もしかしてそうなのかも……」と思うか。
こういう、常識に真っ向から対抗するような言説に対する反応は、それぞれの立場によってもちがうだろうし、その人の頭の柔軟さによっても変わるので、百人百様といったところだろう。
最近、「そもそも健康とは」とか、「そもそも病気とは」というテーマで賢者(と私が思う人たち)の話を聞いたり著書を読んだりする機会が多いのだが、それによって、現在行われている医療に対する不信感が大きくなるばかりである。
日本は国民皆保健によって、豊かな社会が実現されているなどと思い込んでいるとしたら、その人は相当な勘違いをしていることになる。実際、日本は病気大国で、国民医療費約38兆円は税収に肉薄している。どんなに社会的に成功しても、その人がいつも病気で苦しめられているとしたら、それまでに築いてきた財産をなげうってでも病気を治したいと思うだろう。つまり、健やかに暮らすというのは、それほど重要なことなのだ。
しかし、われわれ人間は、それほど重要なことのほとんどを「医師」や「病院」に委ねている。しかも、思考停止状態で。
さて、あなたが医師だとしたら、上のタイトルを読んでどう思うだろうか。
「なに言っているんだ。早期発見して早期治療すれば、治る可能性がそれだけ大きくなるにきまっているじゃないか。バカなことを言って、われわれの仕事を邪魔しないでくれ」と思う人が大半にちがいない。疑問を抱いていないからこそ、現行の治療行為をしているのだろうから。
では、ほんとうにそうなのだろうか。
『Japanist』の次号で登場する小児科医の真弓定夫氏は、薬も出さず注射も打たず、生活改善をベースにした診療を行っている。だから、どんどん病気が減って、患者数も減っている。ということは収入も減るということ。
「貯金もなければ持ち家もない。今も次女と6畳2間の公団暮らし。病気になったときに迷惑がかからないよう所得保障の保険に入っているが、病気もしたことがない。そのかわり、酒は中学時代から毎晩飲んでいるけど」と言って、快活に笑う。現在82歳だが、今でも休みはなし。休診日は講演のために全国を駆け巡っている。来年の予定もすでにビッシリだというから驚きだ。
「医師は正しいことをしていれば貧乏になるはず。だって、病気が減って患者が減るんですから。医者が金持ちになっているのは、正しいことをしていない証拠」と言い切る。
過日、楽しく一献傾けたが、真弓医師が語ったことはすべて本質ばかり。まさに現代の〝赤ひげ先生〟そのものだ。
また、慶應義塾大学医学部に籍をおいている近藤誠氏は、こう語る。
「検査で発見されるがんの圧倒的多数は〝がんもどき〟。がんには、種類や進行度に関係なく、他の臓器に転移する本物のがんと、転移しない〝がんもどき〟がありますが、本物であれば治療をしてもいずれ転移するので治すことはできません。手術や放射線などの治療によって苦しむだけ。また、がんもどきの場合は転移しないので、放っておいても問題ありません」
ということは、がん検診などまったく意味がないということ。それどころか、検査によって被爆し、それはずっと体内に蓄積されるというから怖い。
明治の実践哲学者・中村天風は、当時死の病だとされていた肺結核に冒され、真理を求めてヨーロッパへ旅だった。その途中、インドのヨガ聖者に出会い、それをきっかけに「心身統一法」を確立。結局、92歳まで生きたが、中村天風の講演録を読むと、現代医療の悪しき仕組みは根深いということがわかる。つまり、どういうことかといえば、「患者の病気を治すと医師の収入が減る」ということ。天風はフランスで医師にかかったとき、初診の診察代が高く、薬を要求しても必要ないと拒否されたというエピソードを語っているが、現代の日本の医療現場と正反対ではないか。望診も触診もせず、検査のデータだけを見て大量に患者をさばいていけば、効率が上がり、収入が上がるという仕組みがある以上、医療行為の根本は変わらない。
今、病院へ〝通って〟いる人は、それがほんとうに必要なことなのか、じっくり考えてみよう。
もちろん、すべての医療を否定しているわけではない。特に急を要する外科的処置は、専門医に頼る以外にない。要するに、病気になった原因をまったく度外視して、安易に薬などの治療に頼ることは、根本的解決になっていないということを肝に銘ずべきだということである。
(130326 第411回 この椿のありようから学ぶことはないだろうか)