有限だからこそ輝くいのち
最近、あと何年、元気で生きられるのだろうと考えることがある。
私は「100歳まで現役」を公約としているが(政治家でもないのに)、こればかりはわからない。
どうして、残りの年数を考えるようになってしまったか。答えは簡単だ。やりたいことが山ほどあるのに、命は有限だということにようやく頭と体が気づいたからだ。
昨年、『Japanist』の対談の取材で長野県の伊那食品工業を訪れた。塚越寛会長の部屋にドキッとするものがあったので、思わず撮影をしてしまった。それが右の写真。
100年カレンダーという。生まれたばかりの幼子を除き、ほとんどの人の命日がこのカレンダーにあるというわけだ。
日本では古来、死は穢れとされてきた。だから、直接的に「死」と言わず、まわりくどい表現がされている例が無数にある。なにゆえ、それほど遠回りな表現をするのかと訝しむが、それが日本人の習いなのである。言葉でさえそうなのだから、映像で死体を映すわけがない。先の大震災の報道でも、海外のメディアは多くの死体が転がっている映像を流すこともあったが、日本ではいっさい放映されていない。死者は神になったのであり、また、穢れでもあるからだ。
それはともかくとして、やはりそれぞれに死生観をもつことは大切だと思う。前回も書いたように、「たった今」を大切に生きるには、命の有限さに気づいていることが絶対条件だ。
さらに、ずっと健やかに生きるには、考え、判断する力が必要だと思う。
今、常識的には、「一日3食・33品目」「なるべく高タンパク質」「水をこまめにとって塩分は控えめ」がいいとされている。重い病気を防ぐために「早期発見・早期治療が」が必要だとも叫ばれている。
しかし、その結果、日本人の健康状態はどうなったか。年間約38兆円もの医療費を費やし、平均すると死ぬ前の約10年間は病人として生きているのである。本当に巷間言われている「常識」が正しいのであれば病気は減るはずだが、むしろ増えているという事実を見れば、盲目的に「常識」を信じる方がおかしい。今言われている「常識」には医者や製薬会社や食品メーカーなど、あるいは日本を弱体化させようという勢力の思惑が反映されているのではないかと疑うべきである。
もちろん、その中には正しいものも含まれているだろう。だからこそ、それら真贋を見分ける目が必要なのだ。その上で、ほんとうに今の医療や栄養学が正しいのか、人間ドックやサプリメントが自分にとって必要なのか、判断するべきだ。
最近、その道(医療や食養)の分野で信頼に足るであろう方々に会う機会が増えている。あるいは、「これは信用できそうだな」という書物に出会っている。それらで語られていることは、世間で言われていることと真逆のことが少なくない。
これまで懸命に働き、さまざまなものを蓄えた人でさえ、ひとたびがんなどの重病に罹れば、それらの財産を手放してもいいから病気を治したいと思うはずだ。本来、それほど健康は大切なことなのに、それを維持することに留意しない、あるいは関心をもたないというのはどう考えても賢明ではない。
創業以来26年間、未だ病気で仕事を休んだことのない私は、さらに意識を高め、100歳まで現役で楽しく仕事を続けたいと思っている。
さて、このカレンダーのどの部分に自分の命日があるのだろう。
(130517 第424回 写真は100年カレンダー)