読書する猫
拙著『多樂スパイラル』を読んだ人なら、捨て猫が我が家に拾われてきた経緯を覚えているかもしれない。枯れ枝のようにガリガリの子猫があらん限りの声で助けを呼び、ついつい拾い上げてしまったことから我が家の3匹目のペットになったのである。
海の日に拾われたので「海」と名付けられたその猫はしかし、今やご覧の通り、丸々と太り、優雅な人生を満喫している。特に好きなことは主に似て、読書である。
「今日読んでいたのは、嵐山吉兆の徳岡邦夫という若い3代目が書いた『秋の食卓』なんだけどにゃー。どうもあの一件以来、いまいち説得力がなくてなかなか読み進まないにゃー。そりゃあ、偽装事件をやらかしたのは船場吉兆だけど、一族には変わりがないもんにゃー。創業者の湯木さんは『料理屋と屏風は広げすぎると倒れる』とウマイことを言ったそうだけど、そこまで物事の本質をわかっていても、自分の一族には甘いんだにゃー。まあ、それが人間の限界ってやつですかにぇー」
本を閉じて、海はそんなことを呟いていた(気がする)。
たしかに猫に言われるまでもなく、人間は脇が甘い。でも、だからこそ面白い生き物でもある。バルザックの小説を読んでいると、男も女もどうしようもない悪人がでてくるが、なぜか憎めない。反対に、善良な人もときどき現れるが、どうも彼らは魅力がない。それと偽装問題はまったく別次元の話だけど……。
それはそうと、私が読書用のソファに座り、本を広げると、1分とおかず海がやって来て、私の太股あたりにピッタリと寄り添う。まるで体のどこかにセンサーがついているかのように、私が読書をするタイミングを逃さないのだ。変な猫である。
ある人と、今年1年間を表すとしたらどういう字になるのだろうと話していた。おそらく私は「動」だろうと答えた。近年、こんなに動きの激しかった年はない。横浜にフーガ・コミュニケーションズ株式会社を作り、宇都宮と横浜を行ったり来たりする生活になってしまった。なにものかに引き寄せられるかのように。ある時期から、人は運命の力に抗えず、それに引き寄せられていく、と誰かが書いていたが、まさにそうなのだと思う。
2008年は新生『fooga』に加え、北原照久氏、船村徹氏の本など、出版の予定がすでにいくつかある。西原金蔵氏の本にも着手する。創業21年になるコンパス・ポイントの再構築も必要だ。
「大丈夫、あなたなら。私を拾った時から天が味方をしているじゃにゃいですか〜〜」
海がそう言った(気がする)。
「だから、もっと高い餌を買ってほしいんにゃけど〜」
そうおねだりする海であった。
(071231 第28回 )