絶景とカズオ哲学
前回に続き、登山ネタを。
体調不良により苦しい行脚を強いられたことはすでに書いた通りだ。
しかし、一方で、体のなかの悪いものが猛烈な勢いで燃えてしまったような感覚も覚えた。なにしろ、汗の量がハンパじゃない。首に巻いたタオルは、絞ると汗がしたたるほどぐっしょりに濡れた。頭から出た汗も大量で、帽子がとても重たかった。
それにしても山は不思議だ。それほど汗まみれになったタオルも帽子も洗わずに部屋に干しただけなのに(そもそも洗う場所がない)、乾いた後、まったく臭いがしないのだ。当然のことながらシャワーも浴びずに寝たが、体臭すらなくなっていることに気づく。汗と一緒に体内に蓄積された老廃物が出てしまったのだろうか。
さて、本来であれば蝶ヶ岳から常念岳に登り、三股登山口まで下山する2日目がもっとも厳しいはずだったが、今回はそれを断念し、穂高連峰を眺めながら途中まで縦走し、適当なところで引き返すことにした。カズオさんと協議した結果、「やっぱり、愉しい方がいいよね」という結論に達したのだ。
それにしても、穂高連峰の美しいことよ! 頂上付近が雲に覆われていたので、ここにその勇壮な姿を紹介できないのは残念だが、とにかく絶景とはこのためにある言葉なのではないかと思えるほど素晴らしい光景だった。人生のうち、こういう光景を見たか見ないかでは、何かが変わるのではないかとさえ思えた。なんというか、天と地の間にある特別な空間という感じがするのだ。神と人との共存結界といってもいいかもしれない。
今回は歩くペースを落としたので、カズオ氏との会話はいつになくたくさん交わされた。80%がとるにたらない、どうしようもない話。そんなにいい加減な生き方で大丈夫なのか? と驚くような話ばかりだ。当然のことながら、自虐ネタ連発である。
ただし、残りの20%にとてつもない真理が含まれていることに、今回あらためて気づいた。
「僕は全然優秀じゃない。それどころか、なんにもできない」
「だから、できる人の手を借りないとやっていけない」(=人をうまく使うということか)
「日本の国全部をよくしたいなどと大それたことは考えていないけど、せめて自分と出会った人には幸せになってほしい」
「人生の最後はお坊さんになりたい。それも道元のような厳しいものじゃなく、法然がいい。法然は、許す心がある。法然なら僕の〝懲りない〟行いも許してくれるから」
「やっぱり、仕事は楽しくなきゃね。人生も楽しくなきゃね」
その他、もろもろ。
おそらく、今の日本でカズオさん流の経営をして成功している人は皆無だろう。とにかく、説明不可能な経営なのだ。世の経営コンサルタントがその実態を知ったら、ほぼ間違いなく泡を吹いて倒れると思う。それくらい、今の常識からかけ離れている。
でも、よくよく考えてみれば、今の世の常識の方がおかしいということに気づく。だって、どんなに数字を積み上げても、幸福になれないシステムに生きている。私がほとんどの経営コンサルタントを信用していないのはその一点に尽きる。そんなやり方で、例え数字的な目標を達したとして、その後の心の満足はどうなの? と問うたら、ほとんどは答えに窮するだろう。答えに窮する人を信用するわけにはいかない。
巷では、カズオさん=イイカゲンという図式で見られているが、そんな単純なことではないし、本人も「イイカゲン」を演じているフシがある。じゃなきゃ、1500人の従業員を束ねることは無理だ。
いつも、驚く。よく勉強しているなぁと。誰にも当てはまるが、学ぶ姿勢を停止した段階で、頑迷固陋になっていく。その点、彼はほんとうによく勉強している。
人生の最後は浄土宗の坊さんになりたいというカズオさんは、案外、そういう道を歩んだりして。
(130817 第446回 写真上は、夕闇に包まれた穂高連峰。奥穂高岳の上に三日月あり。下はVサインをするカズオ氏。まるでエビス様)