自分の気持ちにピッタリ合うかどうか
平成26(2014)年が幕を開けた。
例年、年の初めに聴く曲は丹念に選ぶのだが、今年はワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』。のびやかで、男性的。自分を鼓舞するにはうってつけの旋律とリズムだ。
昨年の本ブログ年頭所感をあらためて読むと、そのうちの大半を実行している。ということは、私は有言実行タイプなのかもしれない。
それにあやかって今年も……といきたいところだが、今回は胸の中に秘めておきたい。
「秘すれば花」はこういう時に使う言葉ではないが、言葉にしない方がさらにいい結果になるような気がする。
以前、エッセイかなにかに書いたが、初詣をした記憶がない。厄除けをしたこともないし、クリスマスにもまったく興味がない。その他、洋の東西を問わず、あまたある年中行事とはほとんど縁がない生活をおくっているが、かといってそういうものの価値を信じていないわけではない。
ちょっと傲慢な言い方をすれば、いつも心にそういうものがあれば、ことさら特定の日に特定のことをしようとしなくてもいいんじゃないかと思っているのである。もちろん、やりたい人はやればいい。なんたって、その方が安心だろうし、経済効果だってある。いろいろと理に適っているだろうし。
昨年の大晦日、ウォーキングのついでに明治神宮を参拝した。本来は翌日、年が改まってからするのだろう。しかし、あの人混みでゴチャゴチャしているなかで参拝するのではなく、人があまりいない時、静かに祈りを捧げる方が自分の気持ちにピッタリ合っている。
そう、この「自分の気持ちにピッタリ合っている」、これが重要なのだ。私にとっては。
人とのつきあいにおいても、お中元やお歳暮にはほとんど意識が向かない。それよりも、誕生日の方がずっと重要だと思っている。
それも、モノをプレゼントすることはほとんどしない。それをすると、こんどは自分がもらう番になってしまうからだ。だから、心の中で「おめでとう」と念じるだけ。「●年前の今日、この世に生まれてくれてありがとう」と。
それに、モノをもらった人は、お返しをしようと思うはずだが、私が欲しいモノを見つけることはかなり難しいと思うから、そういう面でも気をつかうのだ。自分でも何が欲しいのか、わからないくらいだから。
そんなわけで、けっして買うことはないだろうが、福袋などもってのほかだと思っている。だって、中に何が入っているかわからない。「だから、いいんじゃない」という声が聞こえて来そうだが、私にとっては「だからダメ」なのだ。おそらく、大半が不要なモノで、誰かにあげることになるのは目に見えている。お得だから、という文句にはまったくそそられない。
と、新年早々、これまで長い間に定着した生活文化にケンカを売るつもりはない。
ただ、今年も自分の気持ちに忠実に。それを実行していきたいと思っている。
(140104 第478回 写真は明治神宮の鳥居)