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紺碧の将

月への恩返し。裕人礫翔さんの物語

2014.02.22

裕人礫翔氏と 次号の『Japanist』のため、箔工芸作家の裕人礫翔氏(ひろと・らくしょうと読む)を取材した。

 礫翔氏は京都・西陣で父から継いだ箔工芸業に従事していたが、着物の衰退を目の当たりにして将来を憂え、40歳のとき、箔工芸作家として生きていくことを決意した。当時は離婚したばかりで2歳、4歳、8歳の3人の幼子を引き取ったばかりだった。

 超が3つつくくらい無謀だったと言っていいだろう。ただでさえ作家として生きていくことは困難だ。収入のあてもなく、3人の子供を育てていくことは並大抵のことではない。箔工芸の将来を憂えての決断だったのに、彼個人の将来はさらに憂えるべきものとなってしまった。

 その頃、夜空に浮かぶ月を眺めながら、彼はしみじみ思ったという。「見ているだけで、こんなに気持ちが落ち着くなんて……」。まるで母親の懐に抱かれるような安らぎを覚え、それまでの絶望感が少しずつ溶解し、希望の光が自分の心に差し込んでくるのを感じたという。

 「あの時の感覚をなんと言えばいいのでしょう。絶望の淵にいた僕を優しく包んでくれたのです。あの時、月が癒してくれたからこそ、少しずつ活力を取り戻すことができました。今、月をモチーフにして作品づくりをしているのは、月への感謝の気持ちをずっともち続けたいからでもあるのです」

 礫翔氏はそう語る。おそらく、その時が礫翔氏の2度目の誕生の時だったのだろう。以降、彼は箔工芸作家として一本立ちし、今は彼だけにしか表現できない世界に挑んでいる。そのあたりの詳しいことは、『Japanist』を読んでいただくとして……。

 月に慰められ、励まされ、生きる力をもらう。そして、そのことを忘れずに制作に励む。こんな昔話のような物語が現代に生きていること自体、まだこの国には美風が残っているのだと思う。

 「感謝の気持ちを忘れずに」。人はしばしばそう語る。しかし、それを実行できている人はどれくらいいるのだろう。もちろん、私自身もじつに心もとない。楽しく毎日をおくることができるのを当たり前とみなしている自分がいる。

 ほんとうは、なんの憂えもなく日々を過ごすことができるということ自体、奇跡に近いのかもしれない。長い人類史のなかで、そういうことが可能になったのは、ごくごく最近のことにちがいない。しかも、ごく限られた国々の……。

 植物に感謝することは日常のなかで定着した気がするが、月への感謝を忘れていた。そんなことも教えてもらった取材であった。

(140222 第488回 写真は裕人礫翔氏と高久。背後にあるのは彼の作品。私が正座するのは年に1度あるかないか。しかも1分もできない……)

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