包括的視点をもつ
新春あけましておめでとうございます。
本質的に生きる、これが私の最大の眼目だ。そのために、なるべく長期的、包括的、宇宙的なものの見方、考え方、とらえ方をしようと意識している。
最近のお気に入りは次の言葉だ。
──わたしたちが死ぬ。風がわたしたちの足跡を消す。それがわたしたちの最期だ
カラハリ砂漠に住む狩猟採集民族サン人の言葉である。
なんて素敵な死生観なのだろう。肉体が滅んだときが最期ではなく、この地球上にあった自分の痕跡を風が消したときが最期だというのだ。
サン人がどういう人種なのかわからない。でも、科学万能主義の人たちでないことはたしか。
いったい、こういうものの見方はどのようにして培われたのだろうと興味が尽きない。
本日付の読売新聞に、がんで逝った妻のことを書いた投書が載っていた。
──自分も滅びることを知らずに、がんは妻を攻め続け、妻と一緒に消えてしまった。こんなバカながんをいつまでのさばらせておくのか。孫の医師、薬剤師に何とかしてくれと言った。
とある。
その哀しみは察する。悲痛な思いをたくさんしただろう。
しかし、この人は大きな勘違いをしている。がんを「他者」だと思い込んでいるのだ。がんも妻の一部だったのに。なぜ、妻ががんを発症したのか、それをとことん考えるべきなのに、安直に「敵」だと決めつけ、「のさばらせるな」と言う。
もし、私ががんになったら、それは自分の体からのメッセージと受け止め、何が悪かったのだろうと考え、行動に起こすと思う。がんは、「あなたの生き方は間違っているよ」と知らせるために増殖していると思うからだ。
なにごともそうだが、何か悪いことが起きたとき、その原因を外部に求めてはいけない。必ず自分の内側にあるのだ。しかし、世の中の常識にとらわれている人たちはそう考えない。なにしろ、9月は「がん制圧月間」だという。自分を制圧してどうするの? と言いたい。
包括的に考えろ、とサン人も教えてくれている。
(150108 第538回 写真は風紋)