小田原評定とリアリズムの欠如
小田原評定という言葉がある。豊臣秀吉が小田原征伐をする際、北条方が軍議を開き、籠城するか野戦に打って出るか、降伏するにしてもどのような仲介が望ましいかを話し合ったが、結局、結論が出なかったという逸話が語源になっている。つまり、何度話し合っても結論が出ないという意味のことをいうが、小田原城、もしくは小田原市民にとって甚だ迷惑な言葉だろう。
日本の政治を見ていると、小田原評定の連続上映という気がする。当今で言えば、共産党が提案した野党共闘に乗るかどうか、民主党の中で割れているという事態がそれに当たる。たしかに一人区で野党がバラバラに候補者を擁立すれば、共倒れになるのは明白だ。それを危惧した岡田代表が前向きの姿勢を示したことに、細野政調会長らが批判している。
結果がどちらになるにせよ、共産党との共闘を検討するとした時点で民主党は政権担当可能な政党から降りたことになる。共産党と連立を組んで、いったいどのような政策を打ち出すというのだろう。かつての共産国家がそうであったように経済はボロボロになって生活は困窮し、個人の自由は著しく阻害され、外向的にも孤立していくのは明々白々。
加えて、枝野の信じられないコメントに驚いた。
「安倍首相は保守ではなく急進改革派。日本の伝統を壊している。われわれこそ、保守本流だ」
民主党が保守本流? 冗談も休み休み言ってもらいたい。民主党は厳然たる左翼政党であるのは間違いないが、それ以上に言いたいことは、責任政党の体をなしていないということだ。
枝野は自分たちのことがまったくわかっていないらしい。民主党は先の安保法制に際しても対案すら出せず、過激な反対運動をするか、国会でラグビーまがいの行動に出る以外なにもしていない。そのような政党に政権運営を任せられるはずがないではないか。日本の伝統を壊しているのは、民主党に他ならない。
結局、民主党は寄せ集めの烏合の衆。国民の血税を使って、日々「小田原評定」を繰り返しているだけだ。
なぜ、民主党はそういう政党に堕しているのか。答えは一にも二にも、リアリズムの欠如にある。現実の社会を見ようとせず、頭の中だけで観念論を描いている。そういう点では社民党、共産党はさらに著しいが……。ハトヤマ&カンという、リアリズムがまったく欠如した政権がどれほど国を損傷したか、国民は身をもって学んだはずだ。
いったい、リアリズムをきちんともった自民党の対抗政党は現れるのだろうか。
私は安倍政権に対し、90%くらい支持している。懸案だった難しい課題に次々に挑み、大きな改革をなし遂げている。特に外交関係での実績は近年まれに見る成果だ。戦後の政権では、数少ない、「小田原評定をしていない」実行力のある政権だといえる。
しかし、今後もずっと自民党政権が続いていいとは思っていない。既得権益にメスを入れることは、現在の自民党にはできないと思っているからだ。
自民党が内部から劇的に変わるのか、あるいは責任政党がほかに現れるのか。国民にとってきわめて重要な課題である。
(151101 第591回 写真は小田原城)