生々流転、横山大観の住まい
以前の小欄でも書いたように、私は今、日本画に魅了されている。それも岡倉天心が創設した日本美術院以降の作品に。
日本美術院と言えば、この人をさしおいてはなるまい。
横山大観。
水戸藩士・酒井捨彦の長男として生まれ、東京美術学校を第一期生として卒業後、師・岡倉天心とともに茨城県の五浦に拠点をかまえ、以後、精力的に活動を続けた。
そんな大観が明治42年から生活した家が、一般公開されている。
上野にある横山大観記念館である。5月のある晴れた日、初めて訪れた。
不忍池に向かって、いかにも歳月を物語る門が開いている。そこをくぐれば、瞬時に別世界だ。とても東京とは思えない静謐な佇まい。桜や山吹が繁る小さな庭に足を踏み入れ、石畳に導かれて建物の玄関をくぐる。
期待に反して、大観の作品はあまり展示されていなかったが、大観の生活の痕跡がいたるところに残っていた。右の写真は、客間から見た風景。大観の息づかいが聞こえてきそうな気配が漂っている。
そう言えば、昨年、『生々流転』という大作を見た。竹橋の近代美術館だっただろうか。場所は覚えていない。横幅40メートルに及ぶ、一大絵巻である。生々流転とは、万物が変化し続ける様を言う。山の霧が葉の露となり、やがて渓流から大河となり、最後は海に注ぎ込み、竜になって天に昇るという「水の一生」が水墨画で描かれている。『平治物語絵巻』をはじめ、壮大なストーリーを一枚の絵巻にする手法は古くから日本のお家芸だが、その作品もまごうかたなき大作であった。なにより、時間の観念が長大だ。食べ物の賞味期限云々で右往左往している民族の血とつながっているとはとうてい思えない。
それにしても、その作品は1923年9月1日に始まった「再興第10回院展」で発表されたのだが、くしくもその日に関東大震災が起きた。もちろん、偶然にちがいないが、自然の営みを怜悧に見つめていた大観の大作は、ある種の警告でもあったのだろうか。
(080621 第54回)