好奇心はリベラルアーツの源
つくづく好奇心というものはリベラルアーツの源だと思い知った。
昨年11月24日の本欄で、修善寺にある新井幸江さん(香りのコーディネーター)宅を訪れた話を書いたが、暮れも押し迫ったある日、多樂塾のメンバー8名で再び押しかけてしまった。とりあえずの名目は「マイたくあんの漬け込み」である。
新井幸江さんについては『Japanist』第27号の「日ノ本の清談」に詳しいが、初めてお会いしたご主人に驚いた。お名前をうかがっていなかったので、ここでは便宜上、〝小走り師匠〟と書かせていただく。
なぜ、〝小走り〟か? とにかく5メートル以上移動するときは屋内外を問わず、小走りなのだ。椅子から立ち上がる、屈む、冷蔵庫から物を取り出すなど、動作のひとつひとつが敏捷で、どう見ても70代とは思えない。
その〝小走り師匠〟のご指導のもと、たくあんの漬け込み、魚(イサキ)の干物つくり、野菜の収穫、薪割りなど、さまざまなことを体験させてもらった。新井さんご夫妻は、生活そのものが職業なのだなあと思った。
自分たちが食べるものは極力自分たちで育て、調理する。楽しみも自分たちで見つける。〝小走り師匠〟は海釣り、料理、科学など、さまざまな分野に造詣が深く、本分は絵描きでもある。
日の出とともに起き、早く寝る(なんと〝小走り師匠〟は夜7時に就寝!)。そのシンプルなプリンシプルがじつに小気味いい。失礼を承知で言えば、遊ぶことが楽しくてワクワクしている少年が、気がついたら70を過ぎていた、といった感じだ。高齢化社会における充実した生き方のお手本と言っていい。
みんなで漬けたたくあんは、3月頃出来上がる予定だ。それを心待ちにしている。
思えば、多樂塾の人たちは、手作りに親しんでいる人が多い。味噌、梅干し、納豆、化粧品など、いろいろな物作りに挑戦している。
私ははたと思いとどまってしまった。いったい何が作れるんだろう、と。
結局、自分では何も作れないことがわかり、少しうなだれる高久であった。
(160120 第609回 写真上は薪割りの実演をする〝小走り師匠〟。下はたくあんの漬け込み作業)