清く美しい流れ
「すぐに得たものは、すぐに失われる」
ことあるごとにそう言っている。それだけ、「すぐに得よう」としている現象を目にするからだ。
つくづく思う。田口先生に学ぶことができてよかった。本質を学び続けてきてよかった、と。
2009年6月、「山田宏に決起をうながす会」で初めてお会いし、当時発行していた『fooga』の第90号の特集記事で田口先生をご紹介させていただき、その後、祖師ヶ谷大蔵で行われている講義に参加するようになった。初めての講義は「老子」だった。
あの時の感動をどう表現すればいいのだろう。50歳にして初めて師に出会ったと思った。
それまでもずっと師を求めていた。自分なりに学んできたつもりではあったが、本質論を言い過ぎると四面楚歌状態になるような気がしていた。そういうことに意識を向けている人はあまりおらず、やはり自分は変人なのかなと思っていたのだ(たしかに、変な人間だとは思うが)。
でも、田口先生にお会いして、「これでよかったんだ」と確信がもてた。
あれから約7年。老荘、儒学、神道、禅、日本の文化、歴史、経済や政治の最前線のことなど、多岐にわたって学ばせていただいている。そして、それらがすべて活かされている。最近、質問されるケースが増えたのは、「あいつに訊けば、なんらかの答えが返ってくるだろう」と思われているからかもしれない。
実際に講義に参加する前、田口先生のエッセンスを初めて味わったのは、送っていただいた『清く美しい流れ』であった。私はあまり再読をしない人間だが、2009年6月14日に初めて読了した後、7月10日、8月25日、12月6日、翌年8月31日、11年3月31日、14年10月26日と、計7回読んでいる。その他にもペラペラとページをめくっては気になるところを再読している。そういう本は稀だ。
──日本には、歴史を貫いて流れる一筋の水脈があります。私はこれを「清く美しい流れ」と呼んでいます。これこそが、日本らしさの根源なのです。日本人とは、この流れの川岸に暮らしてきた民族なのです。
そう、まえがきで書かれている。まさしくそうなのだと思う。
田口先生は25歳の時、タイの郊外で水牛に突かれ、体をズタズタに引き裂かれた経験をおもちだが、その他にも驚くような体験をたくさんなさっている。
『Japanist』の次号から、私が聞き役になり、さまざまなエピソードを語っていただくことになった。
お楽しみに。
(160425 第632回)