歩いてChinomaへ行く(前)
先月の多樂塾の後の懇親会で誰かがこう言った。「結局、自分の生活を変えられない人はダメですよね」。
これには伏線がある。まずは自分の生活のリズムを作ること。これが大切。大きな成果はひとつひとつの習慣の積み重ねでしか達成できないし、心身ともに健やかな状態を保つにも同様だ。遺伝性の病気とか伝染病を除き、ほとんどの病気は生活習慣によるものだ。ちなみに老いは病気ではない。
そういうことを大前提とした上で、「自分の生活を変えられないのはダメだ」という話になった。例えば、社会状況の変化に対応する、自分の興味の変化によって生活の質を変えるなど、基軸をしっかり定めたうえで、変えるべきところは臨機応変に変える。そういう柔軟さが必要だという主旨だった。
収入が減っているのに生活の質を落とせないのは身の破滅につながるし、生活の質を落とせないのはその人の教養が足りないという指摘は「さすが!」と思った。
そこで考えた。私は以前と比べたら、収入は激減どころの話ではない。でも、楽しくやっている。限られたお金をうまく使う術を学んでいるからだ。そもそも、いい本が読めて、いい音楽が聴けて、新宿御苑を走ることができればほぼ満足できるという人間だ。安上がりにできている。それでも他のことにお金を使っているのは、まだ使える状態にあるからだ。そうでなくなれば、即座に「質素な生活」に移行できる自信がある。
ふと思い立った。あるいてChinomaへ行こうと。Chinomaとは市ヶ谷の外堀通り沿いに借りている事務所の愛称で、人が集うサロンにもなっているし、私の書斎にもなっている。自宅に置ききれない本を1500冊ほど並べている。窓から外堀が見えて、春夏秋冬それぞれに味わいがある。
最も短いルートを選ぶなら、外苑西通りから新宿通りに入り、四ッ谷見附を左折して外堀通りへ向かう。しかし、それでは面白くない。少し遠回りでも「風景優先」で行こうと思った。
まずは新宿御苑千駄ヶ谷門の前に立つ(写真1)。その日も園内を2周走ってたっぷり汗をかいた。門のすぐ内側にスズカケやイチョウの巨木がある。いつ見ても心が晴れる。
2分ほどで首都高4号線沿いの道に出る。代々木方面へ行けば、5分ほどで明治神宮だ。そっちへ向かわず、左に折れる。すると3分ほどでJR千駄ヶ谷駅の前に出る。私が使っている最寄り駅だ。この界隈(写真2)は両側にイチョウの木が立ち並び、整然としている。木々の梢の間にドコモタワーが見える。
駅前交差点にある東京体育館の前をまっすぐ進むと(写真3)、歩道沿いに大きなケヤキがある。この樹冠が好きである。惚れ惚れする。こういう立派な木を残してくれた先人たちに感謝しながら歩き、外苑橋を渡る。すると、右手に巨大な建設現場が現れる。新国立競技場だ。2020年は多くの人で賑わうのだろう。国立競技場の最寄り駅は千駄ヶ谷駅だが、はたしてあの小さな駅で多くの人をさばけるのだろうかとふと不安がよぎる。しかし、私は大会関係者ではないのでそれ以上考えるのをやめる。なんとかするのだろう(実際、工事が始まっている)。
新国立の設計は隈研吾氏によるものだが、私は案外気に入っている。最も気になるのはテクスチャーだ。コンクリートがむき出しにならなければいいが、と思っている。
国立競技場の建設現場に沿って歩くと、神宮球場の前に出る。なおも進むと、青山銀杏並木の前に出る。ふり返ると聖徳記念絵画館がある。そこには明治大帝の一生を表現した大きな絵がたくさん並んでいる。一度は訪れる価値がある。
本来はまっすぐ進むべきだが、青山銀杏並木につられ、そこを往復する(写真4)。じつに美しいイチョウの並木だ。梢のところがとんがっているのは、自然の造形なのだろうか。あるいは人の手によるものだろうか。わからない。わかることは、これが人と自然の共作だということ。こういう風景を残してくれた先人たちにまたまた感謝。ちなみに並木道はこういう状態になっている(写真5)。私がときどき使う〈KIHACHI本店〉や〈ロイヤルガーデン・カフェ〉もこの通り沿いにある。
並木道を往復して道なりに右に折れると、ほどなくして権田原という外苑東通りとの交差点に出る。斜め前には明治記念館がある。今年の夏、ここのビアガーデンに2度行ったが、じつに素晴らしい空間だった。
権田原の交差点をまっすぐ進むと、そのまま広大な赤坂御用地の外周に入る(写真6)。このエリアも緑だらけだ。私は新宿御苑が閉園されているとき、ときどきこのルートを走っている。アップダウンがけっこうきつくて、それなりに面白い。多くのジョガーとすれ違う。赤坂御用地は一般人の立ち入りが禁じられているので外側からしか見られないが、よくもこれだけ広大な土地が都心に残っているものだと感心する。先日取材した玄侑宗久氏が「日本にとって皇室はドーナツの穴」だと言ったが、けだし名言だ。穴は何もない。しかし、その何もない空間がなければドーナツにはならない。この御用地もそうだ。なにもないというのは語弊があるが、少なくても経済的に価値を生み出すものはないと言っていい。そういうものが21世紀にまで受け継がれているというのが、素晴らしい。
ここでも先人たちに感謝。
この続きは次回にて。
(161106 第677回)