柔らかい建築――隈研吾の建築思想
世界的な建築家として大車輪の活躍を見せる隈研吾氏。今から12年前、『fooga』の特集記事のために取材して以来、ずっと着目している。
おりしも、明日(3月3日)から、東京ステーションギャラリーで「くまのもの――隈研吾とささやく物質、かたる物質」展が始まる。公開に先立って、隈氏自身による作品解説が行われた。
なぜ、私が隈研吾を評価するか。
①自然素材を重点的に使い続けている
②建物が建つ土地の歴史を大切にしている
③威圧的でない(そもそも隈氏には『負ける建築』という著書がある)
今回の企画では、はからずも隈氏が着目してきた素材(物質)が系統立てられ、樹形図としてわかりやすく説明されている。素材は、竹、木、紙、土、石、金属、ガラス、瓦、樹脂、膜・繊維の10種類。それらの組み合わせ方も「粒子化」「格子柄」「編む」「多角形」「支え合う」「螺旋」「包む」などほぼ体系化されてきたようだ。
隈氏はかねて「物質の復権」を唱えている。物質といっても主に自然素材である。自然素材は時間とともに変化する。それが味わいに変わる。歴史の長い建築物ほど価値がある、という観点に立てば、自然素材を使うのは必然とも言える。
今回、わかったことがある。隈氏は職人が好きなのだ。その土地特有の技術を受け継ぐ職人と共同で開発テーマに取り組む、そういう一連の仕事が好きなのだ。
「こっちから自分のスタイルを押しつけるのではなく、職人に教えてもらうという気持ちで臨むと、新しい発見もあるし、職人の力を引き出すことができる」と語っていた。土地の歴史や文化を大切にするのは、アマンリゾーツにも重なる。
隈氏は「建築の民主主義」と語っていたが、なるべく小さな素材を組み合わせるようにしているようだ。大きければそれだけ威圧的になるからである。新国立競技場にしても人間のアイレベルではほとんどが木の材料で、しかも1ピース10センチくらいのものを多用するという。つくづく思う。あのヘンな最初の案でなくなって良かった、と。子供が自転車に乗る時にかぶるヘルメットのようなデザインは、けっして斬新ではなく、時とともに陳腐化するのは目に見えている。
ふと、思った。隈氏の建築思想は、安藤忠雄氏のそれと対極をなすと。
隈氏の建築思想が国内外で評価されていることは、世界の潮流を象徴していると思う。
「くまのもの――隈研吾とささやく物質、かたる物質」展は5月6日まで。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201803_kengo.html
※悩めるニンゲンたちに、名ネコ・うーにゃん先生が禅の手ほどきをする「うーにゃん先生流マインドフルネス」、連載中。今回は「痛い思いをする前に考えるべきこと」。
https://qiwacocoro.xsrv.jp/archives/category/%E9%80%A3%E8%BC%89/zengo
(180302 第793回 写真上は織部の茶室。下は焼き杉。杉を焼いて素材にするという発想に脱帽。アイキャッチ用の写真はヴィクトリア・アルバート・ミュージアム・ダンディ)