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紺碧の将

老子と水牛

2009.09.14

 今まで、師と仰ぎたい人に出会ったことがなかった。もちろん、素晴らしい人にはたくさん出会ってきた。特に『fooga』と『Japanist』を始めてからは素晴らしい人と会うペースが加速度的に早くなっている。

 しかし、教えを乞いたいと心底から思える人に会ったことはなかった。学生時代の先生たちには申し訳ないが、通りいっぺんのことしか学んでいない。社会人になってからも同じである。それは私に問題があったのかもしれないが、人生の「先生」には出会わなかった。もちろん、これは寂しいことだ。

 ところが、50歳になった翌月、「この人は自分の師匠だ」と確信できる方に巡り合った。私は勝手に、神様の計らいだと思っている。

 その方の名は、田口佳史。「『fooga』第90号の特集でご紹介するが、ひとことで言えば、経営思想家である。

 田口先生は、じつに数奇な運命をたどってこられた。25歳の時、バンコク郊外で記録映画を撮影中、水牛に襲われ、体をズタズタに切り裂かれた。内臓が飛び出るほどの重傷を負い、病院に運ばれた。一目見るなり、医師が治療を拒否したというほど、瀕死の重傷だった。

 車で病院へ運ばれる途中、田口氏の意識は冴え冴えとしていて、さまざまなものが見えてきたという。中でも、いきなり白髪の老人が姿を現し、何らかの会話を交わしたというくだりが興味深かった。話は決着がつき、田口氏は一命をとりとめた。なんと、傷は脊髄と動脈をそれぞれ1センチだけかわしていたという。

 その後、病室に見舞いに訪れた日本人がいた。重傷を負った日本人がいると噂を聞き、駆けつけたという。その人が置いていったものが『老子』だった。

 激痛の中、田口氏は藁をもすがる思いでその本を読みふけった。そして、奇跡的に退院することができ、帰国がかなってからは老荘思想に没入することとなる。

 それから、その後の人生のすべてを中国古典思想の学びと講義に費やすことになる。そして、田口先生は今、混迷が深まる日本を立て直すために、いくつかの行動を起こされている。特に教育と政治にかける情熱は並大抵ではない。具体的に……という内容の特集記事なのだが、私は最後にこう書いた。

 

 25歳の大事故の後、冴え冴えとした意識の中で田口は白髪の老人と話し、なにごとかの決着をみたと言った。もしかすると、その白髪の老人は老子なのではないか。老子が田口に重大なメッセージを託したのではないか、そう思うのである。

 

 ほんとうにそう思えたのだ。

 

 そして、その原稿を仕上げた直後だった。我が家の階段の昇り口に飾ってある見目陽一氏(『fooga』で連載中)の版画を見て、背筋が寒くなった。なんと、水牛に乗った老子が描かれているではないか!

 その作品は、今年の始め、見目氏からいただいたものだった。

 そういった事実の意味を解き明かすことはやめよう。所詮、推測の域を出ないのだから。

 

 そして、私は田口先生の講義を受けさせていただこうと決意した。人間の本質、物事の根本、そしてこの世を統べる「道」の真理を学びたいと思ったのだ。

 講義はじつにスリリングである。最初はチンプンカンプンだが、丹念に言葉を追い、意味をつかんでいく。田口先生は、受講生たちに容赦なく感想や意見を求める。だから一瞬たりとも気が抜けない。

 こういう学びを求めていたのである。

(090914 第116回 写真は見目陽一氏の『老子』)

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