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紺碧の将

フランク・ロイド・ライトの記憶

2018.05.05

 フランク・ロイド・ライトという名を知ったのは、中学2年生の頃だ。サイモン&ガーファンクルの傑作アルバム『明日に架ける橋』の中に、「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌」という地味な曲があった。ガーファンクルが歌うこの曲は、当時の私にとって退屈だった。他のナンバーが充実していただけに、淡白で平板という印象が強かった。

 と、それはさておいて、フランク・ロイド・ライトとは誰か? と思った。今のように、ネットですぐに調べられる世の中ではない。疑問のまま放置していたが、ある時、知ることになる。あの旧帝国ホテルのライト館を設計した建築家だということを。

 旧帝国ホテルのライト館はさまざまな意味において、斬新だ。それまであまり建築用材として使われていなかった大谷石を多用し、他のどの建築物とも異なる容姿を得た。大谷石だからか、石の冷たさを感じさせない、見事な空気を醸した。

 落成記念披露宴の当日、関東大震災に見舞われたということが劇的だ。しかも、震災に遭っても、ほとんど無傷だったという。

 現在、このライト館の一部は、愛知県犬山市の博物館明治村に移築されている。

 

 明治村はかなり前から行ってみたい場所だった。歴史的な建造物が一堂に集められているのだ。聖ザビエル天主堂、森鴎外・夏目漱石住宅など、見どころは満載。三重県庁舎は旧内務省庁舎を参考にしたということだから、昔日の内務省庁舎をも彷彿とできる。敷地内には、70ほどの物件が絶妙なバランスで配置されている。

 戦後高度経済成長にともなって、多くの名建築が消滅の憂き目にあった。明治村に保存されている建築物は、難を逃れた一群でもある。

 もう一度訪れて、じっくり見てみたいと思っている。

 

※悩めるニンゲンたちに、名ネコ・うーにゃん先生が禅の手ほどきをする「うーにゃん先生流マインドフルネス」、連載中。今回は「成果があったときの落とし穴」。

https://qiwacocoro.xsrv.jp/archives/category/%E9%80%A3%E8%BC%89/zengo

(180505 第809回 写真は旧帝国ホテルライト館)

 

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