「すべてが学びだよ」と教えてくれる壮大な復讐譚
少年の頃から古今東西の小説に親しんできた。小説の醍醐味が最も凝縮されている作品を選べと言われれば、この『モンテ・クリスト伯爵』をあげる。「このあとどうなるんだろう?」という先を読ませる物語の展開、読むほどに刮目させられる真理の数々、深い人間への洞察と表現、壮大で緻密な構成と人間描写……。「事実は小説よりも奇なり」という言葉があるが、この作品を読んだあともそのようなことを言えるのだろうか。
子供の頃、『厳窟王』という名で親しんだ。中学生の頃はダイジェスト版の『モンテ・クリスト伯』を愉しんだ。大人になってから読んだ岩波文庫の完全翻訳版で独特の世界に拉致された。そして、数年前に新井書院から刊行された本で再び完膚なきまでに打ちのめされた。この本はなんとA5版ほどの大きさで約1500ページ。横組みで挿絵が295枚もついている。
時はナポレオンが失脚してエルバ島に流されていた1815年。ナポレオンの残党が政権復帰をめざして暗躍していた時代である。
エドモン・ダンテスという若い船乗りが商船〈ファラオン号〉に乗り、マルセイユに帰港するシーンから物語は始まる。そこにはダンテスの帰りを待つメルセデスという婚約者がいた。老いた父親もいた。次期船長の有力候補だったダンテスは、一点の曇りもないような幸福の絶頂期にあったのだが……。
ある陰謀により捕らえられ、マルセイユ沖に浮かぶ死の牢獄「シャトー・ディフ」に14年も幽閉されることになる。まさに、天国から地獄へ、だ。
その陰謀をかげで操っていた男たちがいた。ダンテスを妬むダングラールと隣人カドルース、恋敵のフェルナン、そして権力欲に憑かれた裁判官ビルフォールの4人である。
陰鬱で孤独な石牢で絶望にうちひしがれる日々を過ごすダンテスだが、やがて脱出を企て、石壁を少しずつ掘り進む。数年後、隣の石牢にたどりついたダンテスが会った老人こそが、彼に希望の光を与えるファリア神父であった。神父はダンテスに知の手ほどきをする。それまでダンテスは優秀な船乗りではあったが、知性はなかった。博識な神父はあらゆる学問をダンテスに教え、そして死を間近にした時、ダンテスに脱出の知恵を授ける。自分の死後、自分に代わって死体を入れる袋に入りなさい、と。当時、囚人の死体は袋に入れて海に投げ捨てていたのである。また、神父は自分が蓄えた財宝がモンテ・クリスト島にあるということ、明瞭な推察によって陰謀を謀った4人を特定する。
脱獄に成功したダンテスは、数年後、モンテ・クリスト伯となって社交界に現れる。富豪らしい身のこなしと知的な会話、驚くべきリベラルアーツ、洗練された社交術で徐々に人々を魅了していく。一方、ダンテスを無実の罪に陥れた4人の男は悪事を重ね、地位と財産を築きあげていた。
この物語は単なる復讐劇ではない。かつての婚約者・メルセデスのその後の身の振り方を含め、通奏低音のようにある種の切なさが漂っている。血湧き肉踊る痛快さと哀愁が入り乱れ、波瀾万丈の物語が息もつかせぬくらいの早さで展開していく。
久しぶりに再読し、あらためて心に残ったのは2ヶ所。ひとつは、許嫁メルセデスを奪ったフェルナンの息子アルベールとモンテ・クリスト伯爵の決闘の前夜のシーンだ。息子は伯爵にはとうていかなわないと思ったメルセデスはモンテ・クリスト伯爵を訪ね、息子の命乞いをする(モンテ・クリスト伯爵に会ったメルセデスは、瞬時にして彼がかつての婚約者であることを見抜いていた)。息子に負けてほしいと彼に嘆願するのだ。負けるということは、死を意味する。煩悶した末、モンテ・クリスト伯爵は了承する。緻密に復讐のプロセスを進めてきたのに、かつての許嫁に挫折させられるのだ(実際はそうならないが)。その時の伯爵の言葉「おれはばかだった。復讐しようと決心した時、心臓をむしり取っておけばよかった」という台詞が心に突き刺さる。
もうひとつは、ほぼ復讐を果たし、かつて幽閉されていたイフ城を訪ねた時のシーンだ。いまや観光名所となっているイフ城で、モンテ・クリスト伯爵は、案内人からひとつの贈り物をもらう。それは、ファリア神父が牢獄で書いたイタリア王政についての大著だった。筆記用具もない状況下、ファリア神父はその書物を著した。モンテ・クリスト伯爵は自分を変えてくれることになった「知」の象徴をその本に見出し、最上の宝物のように持ち帰る。
すべてが学びだよとこの壮大な物語は教えてくれる。どんなことも学びによって解決できる、と。
人生の長さは、それができるほどの按配で設定されている。