ムダのない肉体の美しさ
横浜美術館で開催されている「ヌード展」を見た。英国のテート美術館所蔵品で構成している。
見始めてすぐ、ルノワールやボナール、マチスの作品が現れたため、「中盤以降、どういう展開になるのだろう?」と嫌な予感がした。
不安はロダンの傑作『接吻』だけを展示する特別な空間で、いっとき霧消する。360度、どの角度からもつぶさに見られる。撮影も可。通常、図版などでは、女性が左腕で男性の首に手を回しながら体を男性に預け、男性が右手をそっと女性の腰に当てているというアングルからのものが用いられる。
もちろん、このアングルはいかにもバランスがいい。しかし、他の角度もじっくり見ると、ロダンがいかに人間の体の美に〝飢えていた〟かわかる。女性の背中から見るアングルは、透き通るような柔肌が艶めかしい。男性の左側からのアングルは、隆起した筋肉が動きだしそうな躍動感がある。
この作品を語る際、男性の女性に対する微妙な心があげられるが、後ろに回ってこそ、男性の心理がはっきりわかる。写真上のように、男性の左手は女性から離れ、本に触っているのだ。
今まで、何度となく見てきたこの作品だが、今回はじゅうぶんに堪能できた。『接吻』という日本語のタイトルも情緒があっていい。
ところで、冒頭で書いた「嫌な予感」である。ロダンの作品をあとにしたあたりから、その傾向は強くなっていく。ピカソやポール・デルヴォーはいい。ずっと見ていたい。しかし、時代が下るにつれ、「不快指数」が高まっていく。現代美術とはこんなにも袋小路に追い詰められていたのか! と思わざるを得ない。胸毛を生やした2人のゲイが裸でベッドに横たわっているところ、出産やセックスをイメージした連作など、これがアートなの? と思いたくなる大作が並ぶ。途中から気分が悪くなり、そそくさと会場をあとにした。
私は現代アートにはそれなりに共感している人間だと思っている。クラシック音楽においても近現代は魅力的だ。過日、東京都美術館で見たモダンアート展にも魅せられた。しかし、あえて醜悪なものを大写しに見せ、「これがアートです」とか「意識を覚醒させる」と広言するのは、俗物主義以外のなにものでもない。かなり以前、マルセル・デュシャンが便器を展示し、これが新しいアートだと主張していたが、その時と同じ不快感があった。その時もスノッブな美術評論家が「新しい潮流だ」と囃し立てた。
肉体も自然の一部であるからには、醜悪な面があってもいいのだろう。そう思ったが、はて、自然界の醜悪な面って、どういう面だろう?
なかなか思いつかないのであった。
※悩めるニンゲンたちに、名ネコ・うーにゃん先生が禅の手ほどきをする「うーにゃん先生流マインドフルネス」、連載中。今回は「生涯、自分を支えてくれる言葉を見つける」。
https://qiwacocoro.xsrv.jp/archives/category/%E9%80%A3%E8%BC%89/zengo
(180529 第815回)